ても、それは諸君を治めるという意味の立場でなく、諸君に物を相談するという立場でありたい。この故に、我々だけの国とはいうものの、我々の国には王者がありません、治める人と、治めらるる人とがありません、従ってこの国には賞というものがなく、罰というものがないことになります。賞という以上は、それを賞する者がなければならず、賞するというのは、一段高いところに立って、そのことのぜひ善悪を鑑別して後にこれを推《お》す者になるのですから、批判の地位になります、批判が正しい時はそれでよろしいが、もし批判が間違っている時は、賞にその権威がなくて、軽蔑が起るのですから、人世と人とを推進せんがため、賞というものがかえって世道人心を紊《みだ》るの結果ともなるのであります。罰もその通りでありまして、社会が罰というものを設けるのは、これによって善をすすめ、悪を抑《おさ》えんためでありますが、それもやはり罰する人が正しければよろしいが、罰する人が誤っていた日には、罰を与えていよいよ人心を危うくするばかりです。よって、ここの国では賞も行わず、罰も行わずという建前にしたい。では、善いことはせんでもよい、悪いことは仕放題で罪
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