年後の今日の科学で解釈がつかないというんですから、現代の科学も底の知れたものです。あれはぜひ一見の必要がありますな」
 こう言って説き立てたものですから、お銀様が、その明日という日に、この通り醍醐詣でとなった始末であります。随行に選ばれたのはお角と米友、これは不破の関守氏の当然の見立てでもあり、本人たちも納得したところであります。
 山科から醍醐までは下り易《やす》い道です、歩き易い距離でした。道は平坦《へいたん》だが、前に言う通り、流れに棹《さお》さして下る底の道であります。ほどなく、逆三位一体は、醍醐三宝院の門前に着きました。

         三

 お銀様とお角さんが三宝院のお庭拝見をしている間、米友は門前の石橋の欄《てすり》に腰打ちかけて休んでおりました。そこへ、六地蔵の方から突然に、けったいな男が現われて、
「兄《あに》い、洛北の岩倉村に大賭場《おおとば》があるんだが、ひとつ、かついで行かねえか、いい銭になるぜ」
と、いったい、藪《やぶ》から棒に、誰に向って、こんなことを言いかけたのか、米友としても、ちょっと途方に暮れて、忙がわしく前後左右を見渡したけれども、自分のほかに手持無沙汰《てもちぶさた》でいる人っ子はないから、多分、このおいらという奴を目にかけて呼びかけたんだろうが、それにしちゃあ、人を見損ってるぜ。
「兄い、どうだ、行く気ぁねえか、いい銭になるぜ、洛北の岩倉村に前代未聞《ぜんでえみもん》の大賭場があるんだから行かねえか」
 同じようなことを繰返して、今度は、ひたと自分の眼の前へ足を踏みつけて突立ち止っての直接談判《じかだんぱん》だから、もう思案の問題ではありません。
「おあいにくさまだよ」
と米友が言いました。
「おあいにくさま、いやはや」
と、けったいな男は苦笑いをしたが、それで思い止まるとは見えない、ニヤリニヤリと笑いながら、米友の前におっかぶさるような姿勢になって、
「そんなお愛嬌《あいきょう》のねえことを言わねえもんだ、やびなよ、やびなよ」
「やばねえよ」
「やびなよ」
「やばねえてばなあ、しつこい野郎だなあ」
 ここで、やべ[#「やべ」に傍点]とやばぬ[#「やばぬ」に傍点]の押問答になりましたが、やべ[#「やべ」に傍点]というのは「歩め」或いは「歩べ」という急調な訛《なまり》でありまして、ところにより、俗によって使用されるが、必ずしもこの辺の方言とは思われない。ただ、やびなよ、やびなよ、と言うのは、先方の希望であり、懇願でなければならないし、やぶ[#「やぶ」に傍点]と、やばぬ[#「やばぬ」に傍点]とは、こっちの勝手であり、権能でありますから、断じてそれを強要すべきではありません。しかるに、このけったいな男は、懇願と強要との区別がつかないらしいから、米友は改めて、このけったいな男の面《かお》を見上げてうんと睨《にら》みつけたが、そのとき気がつくと、このけったいな男は、肩にしこたま背負いものを背負っている。袋入りの米ならば五升も入りそうなのに、米ではなくて米より重いもの、袋の角の突っぱりでもわかる、この中には銭という人気物がしこたま[#「しこたま」に傍点]つめてある。そこで、米友も、このけったいのけったいなる所以《ゆえん》を覚らないほどのぼんくらではない。よくある手だと見て取ったのは、渡る世間によくあるやつで、つまり、ばくち打ちの三下《さんした》、相撲で言えば関取のふんどしをかつぐといったやからと同格で、貸元のテラ銭運搬がかりというものがある、そいつだな、そいつが、どうも己《おの》れの責任が重くてやりきれねえ、そこで路傍のしかるべきルンペン子を召集して、自分の下請をさせることはよくある手である。今、おれをその下請のルンペンに見立てやがったのだ、ということを米友が覚ったから一喝《いっかつ》しました。米友から一喝されても、その野郎はなおひるまず、
「二貫やるぜ、二貫――洛北の岩倉村まで二貫はいい日当だろう」
「お気の毒だがな、おいらあ主人持ちだ、こうして、ここで、ひとりぽっちで、つまらねえ面《かお》をしているようなもんだが、職にあぶれてこうしてるわけじゃねえんだぜ、頼まれておともを仰せつかって、御主人がこの寺の中へ入っている、おいらはここで待ってるんだ、だから、誰に何と言って頼まれたからって、御主人をおっぽり出して銭儲《ぜにもう》けをするわけにゃあいかねえ」
 米友として、珍しく理解を言って、おだやかに断わりました。
 これほどまでに理解を言って聞かせたら、いかにしつっこい野郎とても、そのうえ強《し》いることはあるまいと思っていると、そのけったいな男が、突然きょろきょろと四方《あたり》を見廻して、落着かないこと夥《おびただ》しい。今まで米友を見かけて口説《くど》いていた眼と口とが、忙がわしく前方へ活
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