り揃《そろ》えたものだ、この点、また少々感心ものだと見ていると、
「もとはみんなお陸尺《ろくしゃく》のがえん[#「がえん」に傍点]者なんですが、ああして見ると立派な兵隊さんでござんすねえ、馬子にも衣裳とはよく言ったもので――」
 言わないことか、六尺と陸尺との混線だ、すなわちこれは、このごろ江戸の市中に溢れていた諸国諸大名の陸尺、即ち籠舁《かごかき》の人足の転向だ。
 諸大名お抱えの陸尺は、体格抜群のものを選《え》りに選り、各大名屋敷が自慢で養って置いたが、このごろ、諸大名の参覲交代《さんきんこうたい》が御免になって、奥方を初め、江戸住居を引上げて国へ帰れるようになってから、この陸尺が失業した、アブれてみるとロクなことはしない、盛り場をユスったり、見世物をコワしたり、良家へ因縁をつけてみたり、手に負えないところを幕府の陸軍頭が買込んで、浜から千人、こちらから千人、それに洋服を着せて団袋《だんぶくろ》をはかせてみると、見かけはこの通り堂々たる国家の干城《かんじょう》、これを称して六尺豊かの兵隊さんとは誰が洒落《しゃれ》た。
 それを見送った神尾は、なるほど、見かけだけは立派に六尺豊かの兵隊さんだが、渡り者の寄集め、いざという時、役に立てばいいが、と冷笑して、さて、増上寺の参詣も無事に済ませて、山門を出て見ると、今度は赤羽橋の方から息を切って飛んで来る裸男。褌《ふんどし》一つで木刀を一本、その真中に状箱を結《ゆわ》いつけたのを肩にかついでいる。そのせかせかとする息の合間に、時々大声でわめいて来る。主膳とすれ違った時に、耳を澄ましてみると、
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ここから江戸まで三百里、裸で道中がなるものか、なるかならぬか、やって来た、一貫占めたか、セイゴどん、しゃか、しゃか
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 何のことだかわからない。すれちがってしまってから、また振返ると、
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ここから江戸まで三百里、裸で道中がなるものか、なるかならぬか、やってきた、一貫占めたか、セイゴどん、しゃか、しゃか
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「何だい、あれは」
「薩摩飛脚でござんしょう」
 ナニ、薩摩、その薩摩がどうした、憎い奴だ。
 このごろ、江戸の市中の火附強盗の帳元は、皆その薩摩の為《な》す業だと言っている。この増上寺に近いところに、その市中の山賊強盗の巣、薩摩屋敷があるはずだ、よし、ひとつ、その巣を見届けてくれよう。
 神尾は、直ちに爪先を四国町の方へと向けました。なにかと面憎《つらにく》い薩摩屋敷へ、仕返しに行くのではない、見届けに行くのだ。
 まもなく、その三田の四国町、薩州邸の表門を横目で睨《にら》んで神尾主膳――
「薯《いも》の奴め、蔓《つる》を延ばしたものだ、もとこの屋敷のこっち側は土佐の屋敷だったんだが、それを薩摩が併合しちまやがった、そうして、今やこの邸が江戸|攪乱《こうらん》の策源地となっている、退治しなけりゃいかん、公然たる強盗の巣窟を将軍の膝元で見過して置く法はない」
 こう思って睨みつけてはみたが、神尾の力で、今どうしようというわけにもいかない。いまに見ろ、眼に物見せてやる時が来るぞ。
 薩摩という奴、怪しからぬ奴だ。松平薩摩守で、徳川御一家待遇にあるのみならず、将軍とは切っても切れぬ縁組みの間柄であるのに、幕府を軽蔑しきっている。薩摩が増長しているというよりも、幕府の役人共に意気地がないからだ。幕府の上役共、何か大事が起ると、自分の力で決断し兼ねて、薩摩へ持込む。薩摩守がこうだと言えば、大抵はその方に事がきまる。歯痒《はがゆ》い。というのは、老中共が三家あたりへ押しが利《き》かない、そういう時は、薩摩守も同意でござる、と言うと、三家も屈伏するというていたらく。だからいよいよ薩摩を増長させる。このごろの増長ぶりでは、どうやら徳川家を倒して、次の天下を乗取ろうとは言語道断。いずれはこの邸からブッつぶしてかからぬことには、天下の見せしめにならぬわい。
 そういうことを、神尾が心肝にこたえつつ、そこを引返して品川へ出ると、海岸の茶屋で、蛤《はまぐり》を焼かせて一杯飲みながら、海を見ると、さすがに気がせいせいするが、お台場を見ると、また癪《しゃく》だ。いったい、このお台場を外様《とざま》の大名に任せたということが、すでに徳川の名折れだ。痩《や》せたりとも、枯れたりとも、徳川の手で造り、直参の旗で固めなけりゃならん、と我々も若い時にがんばったものだが、幕府の力が足りない。この台場なんぞも、薩摩の力を借りてやり上げたものだ。
 これが出来上った時に、薩摩守が、ぜひひとつ、老中の阿部伊勢守に見てもらいたいとのことで、伊勢守が大目附あたりをしかるべく召しつれて見に来た時には、薩摩の太守が門の表まで出迎えて、ていねいな挨拶だが、
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