がないかと申しますと、それは大いに有ります、おたがい同士仲よく生きて行くために害を為《な》すことは悪い、それを滑《なめら》かにするものは善い、とこう定めて置きましょう、そうすれば、おのずからこの島に於て為さねばならぬことと、為して悪いこととがわかるはずです。まず第一に、生きて行くには食物がなければなりません、空気と水は天地が与えてくれますから、これは人間の骨折りはいらない、その他の食物は、一切人間の手で、人間が作らなければなりませんから、人間の活《い》きて行く善事のまず第一のものは、食物を作ることです。これとても人間の力だけで出来るものではありません、米を蒔《ま》くにも、田畑というものがなければなりません、幸いに、私共がただいま実地検分して参りました結果によりますと、この島には、食物を生産すべき可能性が充分にあるのであります、人力を加えさえすれば、立派な耕地となる面積があるのであります、種子物の類は、豊富に船の中に貯えて持参してありますから、上陸早々、まず雨露を凌《しの》ぐところをこしらえて、それから耕地のこなしに取りかかりましょう、これが私たちの最初の善事でありますから、皆さん、応分の力をこれに添えて働いて下さい。みな働くと申しても、皆さんの力が平均しているわけではありませんから、誰も彼も鍬《くわ》を取り、鎌を振《ふる》って、荒仕事ができるものではありません、女子供はましてそうですが、力の足らぬもの、経験の乏しいものは、見よう見まねに、仕事の成績には関係せず、努めてやってみようという心がけが大切です。また、労力相当の軽い仕事から始めて、助けて行くのもよろしいです。そうすれば、これだけの人数で、五町や十町の開墾は苦もなくできます、それに種子をおろせば、まだ土が珍しいから、肥料なくして大抵の作物は出来るはずです。種子をまいて半年なり一年なりすれば、この人数を養うだけの収穫は必ずあります。故に、皆さんは、まず食物を作ることを第一の善事だと心得て下さい。それを妨げるもの、妨げないまでも、その助力を惜しむものが第一の悪事だと心得て下さい。それからです、我々は決しておたがいに過大の労力を課することを慎みましょう、出来ないものに無理に仕事をさせることのないように、出来る者にも、なるべく多くの余裕を与えて、人間というものは食って行くだけの世ではない、食って行くのは、つまり、皆々の持合わせた天分を、最上に発揮するためだということを心得て、おたがいの修養と、発表とを、怠らぬように致したい。そこで当分は、半日働いて、半日はおのおのの思うままのことをしてよろしい、本を読みたいものは本を読む、絵をかきたいものは絵を描く、歌をうたいたいものは歌をうたう、大工をしたい、細工をしたい、というおのおのの好み好みのことを、存分におやりなさい。半日は食物のために働き、半日は趣味のために生くるということ、これをこの島のおきてと致しましょう。それから、万々一、おたがいの中に我儘《わがまま》気儘《きまま》が昂じて、他の害悪をなす場合には、他の世界では、直ちにつかまえて牢へ入れたり、首を斬ったりするのですが、ここでは一切、そういう刑罰は用いますまい、刑罰の代りに遠慮を申し渡しましょう。我々の生活がわかってさえもらえば、好んで周囲を悪くするものはないはずですから、万々一、そういう人は、この社会を離れてさえもらえばよろしい。と言ってもここは大洋の中の孤島ですから、めいめい勝手に離れて行きたいところへ行くというわけにはいきませんから、この島のうちで別世界をこしらえて、そちらへ移ってもらう、そうして、そちらで自分の好きなような生活ぶりをやってみるがよい、当分の間、食うべきものは、こちらから分けて上げることにして、それ以後は勝手な生き方で生きてみるようにする。なおこの新しい生活を共にして行く間には、今までの世界で起らなかった問題も相当起るかも知れませんが、その時は、おたがいに相談の上で善処することと致し、とりあえず右のような意味で、食物を作ることに全力を注ぐということを、天地に誓いましょう、これには御異存はござるまいと思います」
 駒井甚三郎が、諄々《じゅんじゅん》として、かく申し渡した時に、誰も異議異存のあろうはずはありません。一同無条件に同意して、略式を以て天地に誓うの形式を取りました。
 ここに駒井甚三郎が、その理想の王国を作るの第一歩に踏み入ったわけですが、これは胆吹の山で、暴女王が行わんとしたところのものと、期せずして異曲同工なのであります。
 暴女王は専制の王国を打立て、力を以て、思い通りの小社会を作ろうとして失敗しました。
 駒井甚三郎は、力を以てせずして、自由を以て、人間生活を最善に伸ばそうとするところに相違がある。
 彼女の気象が烈しかったと反対に、これの行動は
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