、百三十三歳まで生きたが、これも一日一食じゃ。播州の書写山の性空上人《しょうくうしょうにん》というのが、これも一日一食で九十八まで生きたじゃ。真宗の親鸞上人《しんらんしょうにん》は九十まで生きたが、これも一日一食。伊勢の月僊和尚《げっせんおしょう》というのが八十九、鳥羽僧正が八十八、一休和尚が同年というようなわけで、こういう坊主は、いずれも一日一食同然の節食をして、それで達者で長寿をしたものだが、それは坊主だからできるので、やっぱりお百姓さんの居候であることには変りはない。お百姓というやつは、節食をしてはならない、節食をしては働けないから、うんと食うがよい。大きな口をあいて飯を食う権利のあるのは、百姓だけの役徳だと思うがいい。うんと食って、うんと働き、うんと生産をして、坊主をはじめ、役人だの、学者だの、この世の寄生虫に食わしてやってもらわなけりゃならぬ。饑饉の時は、今も言う通り、悪食《あくじき》をせず、その時は節食をして、一日にお粥《かゆ》一ぱいだけでも食って、静かに寝て体力を養っているがいい、死なない程度に生きているがいい、そのうちには凶年という年ばかりではないからな。
こういうようなことを言って慢心和尚が、与八の勧誘に補足をして村人を説得しているところへ、一人の風来人がやって来ました。
その風来人というのは、五十がらみ、小肥りに太った、笠をかぶって、もんぺを穿《は》いた旅の者らしい一人の男であります。
「わしは、武州|刎村《はねむら》というところの百姓弥之助と申しますが、諸国廻歴の途中、はからずもこのところへ立寄りまして、只今のお話を聞かせていただき、まことに結構に存じて、いたく共鳴を仕《つかまつ》りました。わしが諸国廻歴の目的も、只今の、お若衆さんと御出家さんのおっしゃったと同じ趣意の下に出発いたしたんでござりますが、なにぶん、徳が足りないものでござんすから、せっかくの志が通らず、わしが本心が通らぬのみか、到るところでばかにされて、どうもなりませぬ。ところで、只今のお話を伺ってみますと、世間にはまだ同じ志の者がある、捨てたものではない、と頼もしさ限りがございません。まあお笑い下さい、わしどもはこういう帳面を拵《こしら》えて諸国廻歴を致しております」
と言って、腰にブラ下げていた一冊の部厚の帳簿を解いて、慢心和尚と与八の前へ差出しましたから、
「それはそれは
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