行きなさる」
 これは、こちらから尋ねてしかるべき言葉なのですが、重い荷物に押しつぶされている老婆は、咎《とが》むべき人に咎められても否やは言えない。
「やれやれ、お腹がすきました」
 もう我慢がしきれないもののように、竜之助の前で前のめりに、のめってしまいました。
「お気をつけなさい」
「どうも有難うございます、もうもう、お腹がすいて、トテも歩けませぬ」
 この老婆は、荷物が重いということを言わないで、お腹がすいたことばっかり言っている。八升炊きの釜の重さは、どうつぶしにかけても八貫目はあるでありましょう。この老いぼれの身で、八貫目の釜を背負い歩くということは、事そのことだけで、圧倒的の重みであろうのに、重いことは言わないで、お腹がすいたことだけを言う。そこで前のめりにのめって、老婆は、己《おの》れを圧しつぶした八升炊きの釜の下から這《は》い出したと見ると、その釜を立て直したが、ちょうど、そこに頃合いの大石が二つ三つ並んでいたものですから、その上へ、件《くだん》の大釜を仕掛けて、やがて近いところの樋《とい》の水を引いて、釜の中へ適度に流しかけたかと思うと、今度は、近いところの落葉枯枝をかき集めて、その釜の下へ火を焚きつけました。
「婆さん、お前、これから飯を炊《た》こうというのかい」
「はい、お腹がすいて、どうにもこうにもやりきれませんから、御飯を焚いて腹ごしらえをして、それから、また出かけようと思います」
「そうか、では、ゆっくりおやりなさい、火が焚きついたら、拙者もあたらしてもらいましょう」
「さあさあ、どうぞ」
 竜之助は、この婆さんの側に立って、釜の下に手をかざしながら、つまり、アメリカの大統領と同じような炉辺閑話の形式で、問答をはじめました。

         六十一

「婆さん、お前ドコから来た」
「はい、大原の寂光院から出て参りました」
「なに、大原の寂光院?」
 寂光院と聞けば、美しい尼さんがいるとのことだが、いやはや、見ると聞くとは大きな相違、見るわけにはいかないが、気分でちゃんと受取れる、老いさらばえた上に、お腹がすいているんでは問題にならない、と竜之助が手持無沙汰になっていると、老婆は頓着なしに、
「寂光院の水仕《みずし》をつとめておりましたが、なにしろ、お腹がすきましてねえ、あなた」
 ねえ、あなたもないものだ、お前のお腹がすいたかすかな
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