、この暴女王に限って甲州そのものを軽蔑すべき所以を知っている。父祖伝統の甲斐の国、武田よりも古い家柄を軽蔑して、その富ともろともに振捨てて悔ゆることを知らない暴女王は、豊太閤そのものを怖れずして、まずこれが趣味を軽蔑せんとして、醍醐の庭を見に来たかのようにさえ疑われる。
 ただ一つこの暴女王が、容易《たやす》く軽蔑しかねているのが、現にいま住む山科の安朱《あんしゅ》の地点なのであります。
 この暴女王も山科の地形だけは、憎まんとして憎み得ないものがあるらしい。軽んぜんとして軽んじ難い愛着を残しているものか。これは或る意味では当然過ぎるほど当然で、人というものは、過去に対してと、未来に対しては、かなり強硬にあり得るもので、過去というものは、再び現在を追っかけては来ない、過去は、いかに苦しかったことも過去となれば、すなわち現在への強迫区域を離れている、これを追懐しようとも、これを軽蔑しようとも、その脅威のおそれはないのであります。未来は当然|来《きた》るべきものにしてからが、来らざる間は痛痒《つうよう》の感覚から離脱している。ただ現在だけは怖るべきです。人がもし現在の政治に反抗した日には、逆賊の取扱いを受けなければならないように、現在の住ましめられている地点を軽蔑しては、所払いの刑罰を受くることを覚悟しなければならぬ。いかに暴ならんがために暴を趣味とする女王といえども、現在の立脚点をだけは軽蔑し得られないという約束に縛られて、しかして山科という輪郭に暫し追従を試みているかというに、必ずしもそうではないのです。
 山科の地形が、甲州に似ている。山河襟帯《さんがきんたい》の中間に盆地を成すの形勢が、何となしに甲州一国を髣髴《ほうふつ》させるのが山科の風景である。山科を大きくして、その盆のくりがたをさらに深くしたのが即ち甲州であるとは言えるかも知れないが、すでに故郷の地形にあこがれを持たないこの女性が、改めてその雛形を珍なりとすべき理由はない。
「山科」という地が、おのずから一天地を成している。その整ったただずまいが、この女王のお気に召したらしい。山科十六郷はよく整った一国の形成を成している。京都の郊外の山科ではなく、京都に附属した山科でもなく、たとえ小規模ながらも、一天地を成しているところに山科の妙味がある。山科は小さき甲斐の国というよりも、小京都といった方が当るかも知れな
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