畔で営まれたこと、そうして、この供養の施主《せしゅ》というのが、疑問の一人の女性であったということです。
 兵馬は、それを訝《いぶか》しいことにも思い、また、なるほどと合点することにも思いました。というのは、湖畔で拾った卒都婆の文字が、たしかに女文字と睨《にら》んだからであります。その点は符合するが、そんならば、何の縁あって、右の女人が出しゃばって、この二人の亡霊の供養をしなければならないか、その女性は何者か、心当りはないか、という押しての疑問に答える浜屋のおかみさんの返答は、極めて要領を得て、そうしてまた要領を得ないものでありました。
 その女の方は、やはり、手前共に暫く御逗留《ごとうりゅう》をなさいました。胆吹山からおいでになりましたそうでございます。なおよく承りますると、胆吹の山に住む女豪傑の大将だそうでございます。
 なに、女豪傑の大将――それは、けったいなことだわい、してまた、その女豪傑の大将が、何の縁あって、男女二人の心中の供養をしなければならないのか、その因縁については、お内儀《かみ》さんの返事は漠として夢を掴《つか》むようで、ほとんど要領を得られません。
 だが、噂《うわさ》に聞くと、その女豪傑の大将はステキな女丈夫で、むろん女豪傑といわれるのだから、女丈夫の一人には相違あるまいが、多くの手下をつれて胆吹山に籠《こも》っていたが、この心中の二人も、その胆吹山の山寨《さんさい》に居候をしていたのだそうです。そういう縁故から出向いて来て、あの供養をして上げましたのだそうです。
 なるほど、何か胆吹にからむ因縁があるのだな。して、その女豪傑の大将といわれる婦人の方を、あなたは見ましたか。ええ、ようこそそれをお尋ねになりました、どのような風采《ふうさい》を致しておりましたか、はい、ちょっと一目うかがっただけでは、世の常の女の方に少しも違ったところはございません、せいはすらりとして、品のよい大家のお嬢様、そうでなければ若奥様といったようなお方で、芝居で致しまする鬼神のお松のような、金糸銀糸の縫取を着た女賊のようにはさらさら思われません。あれで女豪傑の大将で、たくさんの手下を自由自在に扱い、このほど起りました百姓一揆《ひゃくしょういっき》の大勢ですらが怖れて近よらなかったと申します、そんな威勢はドコにも見えませんでした。全く人は見かけによらぬものと申し上げるより
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