この供養が営まれた。いずれをいずれにしても、倒逆の葛藤《かっとう》を免るることはできません。
だが、ここにこれがある以上――もはや、戯れの底も見えた、と兵馬は小躍《こおど》りしつつ、汀《みぎわ》の砂地を踏み締めて、人やあるとあたりを見渡すと、漁師の老人が一人、櫂《かい》を手にして、とぼとぼと歩んで来る、それをこの柱の下で待受けて問を発しました。
「その供養塔は誰が立てたのですか、何のために、何という人がこれを、いつの日ころにたてたものですかね」
「はい、それはなあ、ついこの間で、こちらから舟を乗り出して、この湖の真中のどこかで、情死《しんじゅう》を遂げた男と女がござりましてな、男の方は三十幾つかの年配、女子《おなご》の方はまだ十七八でござんしょうかな、月夜の晩に、お月見だといって、浜屋の裏堀から舟を乗り出しましてな、この湖の中で、どんぶりと情死を遂げてしまいましたとかでござんす、舟だけが浮び流れ流れて、こっちの岸につきましたが、中には主がござりませぬ、遺書《かきおき》のようなものもござりませなんだ。舟が漂いついたので、こっちではじめて騒ぎまして、いろいろたずねてみましたが、さっぱり当りがつきません、なんしろ竹生島の方に参りますると、金輪際まで突通しの水の深さ、周囲を申しますと日本一の大湖でございますから、手のつけようもございませんでしたが、二人はとうに腹を合わせて心中の覚悟が出来ていたんでございますな、毛氈《もうせん》も、お重《じゅう》も、酒器も、盤も、宿からの品は一品も失いません、二人の身体だけが、水に沈んでしまいましたげな。お歳が少し違い過ぎて、男の方が上過ぎたのに、女子がまだ娘ざかりでございました、かわいそうに、そそのかされたわけではござんすまい、心を一つにした相対死《あいたいじに》に相違ござんすまいが、今様お半長右衛門だなんて、悪口を言っていたものがありました。ですが男の方は町人ではございません、苦《にが》み走《ばし》った、芝居ですると定九郎といったような人相で、あれよりずっと痩《や》せた人柄、病み上りのように蒼白《あおじろ》い、なんでも人の言うところによると、眼が不自由であったと申しますが、どんなものでござんすか」
そこまで聞けば、もう充分以上のものではあるが、兵馬は、ただただ不安で、聞き済ましてはいられない。
「そうして、この二人は、それっきり浮き上
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