は浮気もすっかり納めて、いちずにこの若主人を守り通そうという心が、昨夜あたりからこっそり水も漏《もら》さない仕組みになりきってしまっているのです。
そこで神尾主膳主従は、京都行きの腹を固めて、今までにない新しい勇気に酔わされて、心地よい一夜を明かしたというものです。
翌日になると、そのお受けのためにと言って、神尾が悠々として出かけました。
お絹は、身だしなみをする、取片附けをする、それが直ちに出立の身ごしらえ、荷ごしらえにもなるので、お嫁入でもするような若々しい気分に浮かされて、障子にはゆる[#「はゆる」に傍点]小春日和、庭にかおる木犀《もくせい》の花の香までが、この思いがけない鹿島立ちを、やいのやいのとことほぐかのようににおいます。
四十二
宇津木兵馬は北国街道を下って、越前と近江の境を越えるまでは何事もなかったけれども、長浜へ来ると、ふと、路傍で思いがけないものを見つけました。
それは、長浜の市中を横に走るところの、素敵に足の早い旅人を、遠目に見かけると、それが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百という見知越しのやくざでない限り、ああいう気取り方と、ああいった走り道具を持ったものはないということでありました。
果して、あいつが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百である限り、あいつの通過するところに、草の生えたためしがない。転んでもただでは起きて行かない奴である。本街道を外れて、わざわざ長浜の町を突切るくらいだから、何かこの土地にからまるべき因縁があるに相違ないと感づいたのです。
そこで、逸早《いちはや》く彼を取っつかまえて、泥を吐かせようと、かけ出してみたのですが、足に物を言わせることにかけては、こいつに敵《かな》いっこはない。見る間に、その後ろ影を町並の角に見失ってしまいました。兵馬は歯がみをしたけれど追っ附きません。空しくその走りくらましたあとについて急いでみると、琵琶の湖畔に出てしまいました。いわゆる臨湖の渡しであります。そこまで来た上は、この先はもう、湖であります。左へそれたか、右へ走ったか、そのことはわからないが、あいつの目ざすところが、北でも、東でもなく、西に向っていることに於て、当然、彦根、大津、京都の本街道を飛んで行くものに相違ないと思いました。
そうでなければ、この地にとどまって、何か、あいつ相当の謀叛
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