ところがあるよ。なるほど、女は喜ばすべきものだ、女を喜ばすには、金をやることもいいし、品物をやることもいいが、一番いいのは、お前に限ると言ってやることだ。言ってやるだけではない、実行に現わして見せることだ。昨夜おれが吉原行きを断わって戻って来たのを、放蕩者《ほうとうもの》に似合わない、敵に後ろを見せるは名折れだとひやかしたが、本心はやっぱり、おれが吉原を断わって、待たせてある人のために帰って来てくれた、それがこんなに嬉しいのだ。
 そう思うと、この女も存外、女だ、女というものは憎めないものだと、神尾も身に沁《し》みる一種の愛情といったようなものが、油のように滲《にじ》み出して来ました。

         三十九

 こうして睦《むつ》まじく、食事を終ると、神尾主膳が、
「また今日も上野へ出かけて、坊主に面会して来る、話が長くなるかも知れんが、たとえどんなに遅くなっても帰って来るから、お前も、なるべくよそへ出ないでうちにいてくれ」
「ええ、よろしうございますとも、あなたさえ帰って下されば、どんなに遅くまでもお待ち申しておりますよ、悪友がおすすめになりましても、昨晩のように待っている人があるからと言って、御免蒙っていらっしゃい」
「今日のは悪友じゃない、坊主に会って来るのだから、いよいよ安心なものだ、その坊主も只者《ただもの》ではない、エライ豪傑坊主だということだから、こっちが望みで会いたいのだ」
「何でもいいから、エライお方にはお目にかかってお置きなさい、つまらない人にはなるべく会わないように、己《おの》れに如《し》かざる者を友とする勿《なか》れって言いますから」
「いやはや、世界は変るぞい、お前から論語を聞くようになった。じゃ、行って来るぞ」
「行っていらっしゃい、お早くお帰りなさいよ」
 こうして、すっかり身なりをととのえてやり、ポンと一つ背中を叩いて、出してやりました。
 神尾主膳の行く先のエライ坊主に会いに行くというのは、覚王院の義観のことでしょう。覚王院も、竜王院も、その昔から知らぬ間柄ではない。世の常の坊主と思っていたら、このごろになって、その評判がばかに高い。ことに昨夜の鈴木安芸守の見立てによると、京都の公卿の岩倉三位というのと匹敵する人物だという。岩倉がどのくらいの人物か知らんが、朝廷にいて、薩摩や長州の首根っ子を取って押えるというのだから、相当なも
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