ません――「これは友の舎弟なんですよ、間違いっこはありません、本人よりもよく友に似てるんです、もともとあいつも上方の生れと聞いていました、家もあんまりよくないもんだから、藁《わら》のうちから別れ別れにされて、一匹は関東へ、一匹はこっちへお弟子に貰われたんですよ、友を呼んで見せてやりましょうよ、生別れの兄弟の名乗りをさせてやろうじゃありませんか、ほんとうに当人よりもよく似ていますよ、これがあの男の弟でなかったら、世間に弟というものはありゃしません」
こう言って、親方まる出しのけたたましい叫び声を立てて、権柄で友を呼び込んで、否も応も言わさず、兄弟名乗りをさせたかも知れません。しかし、ここはところがらですから遠慮をしました。ところがらをわきまえて遠慮のたしなみがあるところが、さすが女親方の取柄で、本来自分が字学が出来ないし、身分に引け目があるところから、場所柄によっては必要以上におびえ込み、謙遜以上に謙遜してしまうことが、この女性の美徳といえば美徳の一つでありますことがまた、ここでけたたましい叫びを立てなかった一つの理由なのであります。
そこで、二人がうなずき合っただけで、この奇遇的小坊主の案内を受けて、玄関から名刹《めいさつ》の内部の間毎の案内を受けようとする途端、これはまた運命の悪戯《いたずら》! とまでお角さんをおびえさせて、一時《いっとき》、その爪先をたじろがせたほどの奇蹟を見ないわけにはゆきません。
本人よりもよく米友に肖《に》ているこの小坊主が、先に立って案内に歩き出したところを見ると、どうでしょう、これが跛足《びっこ》なのです。
「まあ、お嬢様!」
と今度は音に立てて、さしもの親方が、オゾケを振って一時立ちすくんだのは無理もありません。暴女王でさえが覆面の間から鋭い眼をして、この小坊主の足許《あしもと》を見定めたほどであります。
世に遺伝ということはあって、子が親に似ているのは当然中の当然。その子の弟が、兄に似ていることも当然中の当然。親が頭がいいから、子も頭がいいというのも不合理ではない。子の体格のいいのは、親の譲りものというのも無理はないし、悪いのになると、悪疾の遺伝、悪癖の遺伝までも肯定されるが、跛足が遺伝するということは、あまり聞かないことです。
親が跛足であったから子が跛足、兄貴が跛足だから、弟の跛足に不足はないということは言えないので
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