る場合に、抵抗がなくして、それに成功のあることは絶無です、積極にか、消極にか、抵抗を受けてその後に征服があるのです、結婚というものの原始の形式はそれでした、それが進歩して、その間に、あや[#「あや」に傍点]というものだけが残っている、一旦は拒むものです、許す気持を以て争うものです、よい意味の芝居をしないで、男の要求を受入れる女というものはありません、それをお松さんだけがしない、これは偉大なる強さです、この抵抗のない抵抗の何という強さ、今晩、駒井甚三郎は、生きているという喜びを感じました」
「わたくしも、初めて、女として生れ甲斐があったということを、今こそ欺《あざむ》かずに申し上げることができるのでございます。駒井甚三郎様、男として、あなた以上に依頼のできる人が、あなたのほかにはございません、あなた様もまた、女として、友として、同志として、わたくし以上に信用のできる相手を見出し得ようということは、もはや、わたくしが許しませぬ、許したとても、それは見出すことが不能でございましょう、どんな海の果て、陸の末までも、わたくしは、あなたと運命を共にする唯一人の女でなければならないと、それは、ただ張りきった一時の感情で申し上げるのではございません、あの時から、運命がそうさせたのでございます。この大きな力をごらんください、もはや、わたしの身であって、わたしの身ではございません、この大きな力に押され、大きな力に引きずられているわたしを、お憐み下さい、わたくしは、もう自分の力で自分をささえることができませぬ、自分で今何を言っているかさえわからなくなりました」
この時に、お松は身を以て駒井の上に倒れかかりました。
全く、自分で自分を支えることができない。今まで堪《こら》えに堪えていたけれども、もう持ちきれないこの重味を、持ちかけられるのはそこよりほかにはありません。その怖るべき力を、真面《まとも》に受けた駒井甚三郎は、よろよろと、それを受留めながら、これも自分の力で自分の足もとを支えることができず、最初から楯《たて》に取っていた椰子の大木に支えられて、そこで、烈しい泣き声が、駒井の胸の中にすっかりかき埋められて、それでも井堰《いせき》を溢るる出水のように、四方にたぎるのを如何《いかん》ともすることができません。
身を以て泣く女の力、駒井はその力が、雷電の如く火花を散らす強さを知りま
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