って置いてくれ、祖先伝来の由緒ある刀だ、位負けがすると祟《たた》りのある刀だ、承知の上でこれを引取ってもらいたい――と出るので、普通のものがオゾケをふるう。その「村正」の功力《くりき》によって、急場を逃れるに妙を得ている。そこで、人が呼んで村正という、至って罪のない村正であります。血を好まない村正、銭を好む村正ですから、たいしたことはないのです。
この村正が、角屋の新座敷へ、今日は多くの雛妓《こども》(すなわち舞子)を集めました。
雛妓に、話したいことを話させて、自分がそれを聞いて興に入《い》るという遊び方で、それだけならば、かなりアクが抜けているが、その次が油断がならない。
「さあ、今晩はみんなして思い入れ怖い話をしてごらん、そうして、一つ怖い話をしたら籤引《くじびき》で一人ずつ、この花籠を持って御簾《みす》の間《ま》まで行って、これを床の間に置いておいで――」
「まあ、怖い」
「いちばん怖い話をした人と、それからいちばん上手に花籠を置いて来た人に、村正のおじさんが、すてきな御褒美《ごほうび》を上げる」
「わたし、怖い話を知らない」
「わたし、怖いところへ行けない」
「怖い話って、お化けのことでしょう」
彼等は、村正のおじさんの懸賞には相当気乗りがしているけれども、怖い! お化け! となると尻ごみをしないのはありません。
「意気地がないね、そんな意気地のない話で、よく壬生浪人《みぶろうにん》の傍へ寄れたもんだ」
「でもねえ――人間と化け物とは違うわよ」
「そうよ、人間と化け物とは違うわよ」
「でも、化け物に取って食われたという人はあるまいが、壬生の浪人に斬られたという人は山ほどある、その壬生の浪人を相手にして少しもこわがらないお前たちが、ありもしない化け物を怖がるとは理に合わない」
村正のおじさんからからかわれて、はじめて一人の雛妓が、
「ああ、わたし、怖い話を知ってるわよ」
眼のすずしい、丸ぼちゃの可愛らしいのが、声をはずませて合掌《がっしょう》の形をして見せました。
これらの子供は島原の太夫の卵と見るべきものだから、その言葉も優にやさしい京言葉でなければならないが、ここは新座敷のことだから、新しい形式の、ほぼ標準語で、あどけない話しぶり。
へたに、どす、おす、おした、おへんの語尾を正し、だ[#「だ」に傍点]をや[#「や」に傍点]とし、せ[#「せ」に傍点]をへ[#「へ」に傍点]としたり、京言葉を遣《つか》わせないところが、新座敷の身上かも知れぬ。
二十一
「九重の太夫さんが、自害をなされたお話、それとあの――芹沢《せりざわ》の隊長さんが殺された、あの前の晩の話――」
一人の可愛ゆい舞妓《まいこ》が、振袖の脇の下から手を出して合掌しながら語り出したので、一座がしんと引締った時、村正のおじさんが、得たりと、床の間に幾つも置き並べられた手提げの花籠に目をくれながら、
「さあ、怖い話の皮切りが出たな、すると、花籠を持って行くのは誰?」
「いや!」
子供の残された全部が否認を唱える。
「いやとは言わせぬよ、さあ、この籤をお引きなさい、短いのを引当てた人から順、いちばん長いのを引いた人がいちばん最後、中途で逃げた人はあとでお叱言《こごと》を言う、首尾よくやり遂げた人には御褒美、そうだなあ、まずその御褒美から先にきめて置こう、こうと、一等賞にはこの村正の刀――」
「そんなお腰の物なんていらないわ、女が大小をいただいたってなんにもならないわ」
「では、第一等に懸賞金五両――では安いかな、よし、拾両」
と言って、幾ひらかの黄金のまぶしいのを白い紙にのせて、そこへ置くと、これにはさすがに誘惑の色が動いてくる。まことに綺羅《きら》を飾って栄耀《えいよう》の真似《まね》はしているけれども、これらの子女、いずれも好きこのんでこの里へ来ているものはない。ここに今、村正のおじさんが並べた山吹色のものに欠乏を感じたればこそ、親や兄妹に成り代って、この里に流動して来ている者共である。拾片《とひら》の黄金の貴重なる所以《ゆえん》を知らぬ者とてはない。誘惑の色が動いたのを見て、村正のおじさんは透かさず、
「第二等賞には、金緞子《きんどんす》の帯――第三等には友禅の襦袢《じゅばん》」
いずれをいずれとしても、彼等の誘惑の好餌ならぬものはない。でも、さすがに、御褒美に目がくらんで、手のうらを返すように主張を翻したとあっては、この里の名折れ、女の意地の恥とでもいったようなみえがあってか、頓《とみ》には言い出でないが、形勢たしかに動いたりと見て、
「さあ、籤《くじ》をお引き、島原の舞子《こども》ともあろうものが、この期《ご》に及んで、お化けにうしろを見せてはどむならん」
「では、あなたお先に」
「いいえ、あなたから」
「あたし、長いのが当りますように」
「あたし、籤のがれの神様がお立ちなさいますように」
「あたし、いちばん長いの、でなければ、その次の長いのを下さいますように、妙見様」
こんなことを言いながら、一本抜き、二本抜き、とうとう十二本のこよりの籤が残らず、おのおのの舞子の手に渡りました。
「ああ、朝霧さんがいちばん短い」
「夕陽さんがいちばん長い」
当座の運命の神様の手に捌《さば》かれた十二本の長短の順位は、おのおののがるべくもない。
すでにのがるべくもないと自覚されてみると、いまさら愚痴と不平とは禁物であって、おのおのその運命に懸命の努力を以て追従せんとはする。
そこで、最初に皮切りの、眼のすずしい、丸ぼちゃの口から、アラビヤンナイトの第一席がはじまろうとする。
「ずっと昔のことよ、ずっと昔と言っても、桃太郎さんや花咲爺さんの時分ではないこと、それから比べると新しいわね、もう何年ぐらいになるか知ら、五年ぐらいでしょう、その時分にあの御簾《みす》の間《ま》のお部屋で大変があったとさ」
「どんなに大変だったの」
「いいから、話さないで頂戴、それからさき聞くこといらない」
と言って、ついと立ち上ったのは一番籤を引いた、朝ちゃんという子でありました。
同じコワイ思いをするくらいなら、耳をふさいで、眼をつぶって立った方がいいと思ったのでしょう。これから進行する会話によって、怖い思いの加速をさせられるよりは、聞かないで、無我夢中で、ぶつかってみた方がよい、と朝ちゃんは花籠を宙にさげ、清水《きよみず》の舞台から飛んだつもりで、廊下伝いに飛び立ってしまいました。
果して、この初一番の花籠を、御簾の間の床に置いて来られるか、あるいは途中で棄権して逃げてかえって来るか――待っている十人の子供は固唾《かたず》をのんで、さて、自分の番に廻って来ることの予感が高まるから、うっかりと評判をすることもできません。
二十二
村正のおじさんは、にやにやとして、懸賞金の目録の追加をこしらえようと、紙入を取り出していると、かたこと[#「かたこと」に傍点]と廊下を歩む朝ちゃんの足音、しばらくは聞えていたのですが、それが聞えなくなって、ほんの少しの間、
「キャッ」
という声が、その方面で起ったものですから、こちらの同勢が聞いて、震え上って、また、
「キャッ」
と叫びました。
向うは、何かに驚かされたか、そうでなければ、疑心暗鬼にやられたものに相違ないが、こちらは、無事なのに、ただ先方が「キャッ」と言ったから、電流に打たれたように、それに反応して「キャッ」と叫んだまでです。舞子たちは、それと共に重なり合って動顛《どうてん》したけれど、村正のおじさんは結句おもしろがって、
「何か出たか」
「朝ちゃんがキャッと言いました」
「何か出たな」
「怖い……」
その押問答のうちに、息せき切って、ほとんど命からがらの体《てい》で逃げかえって来たのは、いま出て行った朝ちゃんです。
「どうしたの?」
「何が出たの?」
「出たの?」
でも、そこへ来ると、気絶して水を吹きかけなければ正気の取戻せないほどではありませんでした。寄ってたかっていたわると、朝ちゃん、
「ああ、しんど」
「どうしたの」
「あの御簾の間のお座敷に幽霊がおりました」
「幽霊が――」
「あい」
「幽霊が何をしていた」
「御酒《ごしゅ》を召上って」
「酒を飲んで?」
「はい、九重太夫様を殺したあのお武家の幽霊が、たしかにいたのよ」
「そんなはずはないよ」
「いたわよ、行ってごらんなさい」
「それは行燈《あんどん》の変形だ、枯薄《かれすすき》を幽霊と見るようなものだ、では、だれか行って見届けておいで」
村正のおじさんは、改めて一座を見廻したけれども、こうなると誰あって、進み出でようとするものはない。聞いただけで、唇を紫にして、本人の朝ちゃんよりも昂奮した恐怖に襲われている子さえある。
「では、みんなして揃《そろ》って行って、あらためて見て来てごらん、今時、お化けだの、幽霊だのなんていうものがあろうはずはない、提灯《ちょうちん》か、行燈か、襖《ふすま》の絵でも見ちがえたのだろう、そうでなければ、まかり間違って、誰か、あたりまえの人が、あたりまえに酒を飲んでいただけのものだろう、みんな揃って、たしかに見届けておいで」
それでも、我れ行こうというものがない。
「そんなに言うなら、おじさん、自分で行って見てごらん、もしお化けがいたら、その村正の刀でやっつけておしまいなさい」
「それがいいわ、おじさんをおやりなさい」
「おじさん、ひとりで行って、調べてみてごらんなさい、そうすれば、わたしたち、あとから揃って見分《けんぶん》に行くわ」
「さあ、おいでなさいよ」
「弱虫!」
「村正のおじさん、腰が抜けたわよ」
「お立ち」
子供たちが寄ってたかって、このおじさんを担《かつ》ぎ上げようとする。こうなると、どうも、どうやら自分が腰を上げて、上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]共《じょうろうども》のために迷信退治をしてやらずばなるまい、と観念して、村正のおじさんなるものが不承不承に腰を上げると、子供たちが、やいのやいのと言って、廊下へそれを突き出す。村正のおじさんなるものを廊下へ突き出しておいて、自分たちはあとから、そろそろついて来るかと思うと、ぴったりと障子を締めきって、火鉢の周囲へかたまってしまう。テレきった村正どんは障子の外で、
「よし、じゃあ、おじさんはさきに行って、もし怖い者がいたら、退治るから、おーいと呼んだら、みんなして御簾の間に集まって来るのだぞ、いいか」
隠れんぼのさがし手に廻されたような気分で、村正どんが廊下をみしりみしりと渡って、暗い中を手さぐりをしながら、やがて御簾の間までやって来ました。
二十三
入口で、はっと、軽く物につまずいた、というよりは、軽い物が足にさわったばっかりに、それを蹴飛ばすと、それは、朝霧がたったいま持って来た花籠の一つ。
だが、なるほど――これは必ずしも疑心暗鬼というやつではないらしい。御簾の間の入口に来て見ると、たしかに人の気配がするようだ。
はて、当分はここは開《あ》かずの間《ま》だと聞いて、あらかじめ子供遊びの舞台に申し入れて置いたのに、意外に客が引いてある。臨時にそうなったのか、あるいは、酔客の戸惑いか、いずれにしても、部屋も廊下も真暗なのにかかわらず、暗中に人があって、しきりにうごめいていることは確かなのです。
「誰かいるのかい」
と村正のおじさんが駄目を押しつつ、一歩、入口の戸前にたた彳《たたず》んで見ると、
「うーん、酔った、酔った、女が欲しいよ、女を連れて来ないか、女が欲しい」
こう言って、夢中でうめいている。果して爛酔《らんすい》の客が戸惑いして、のたり込んでいたな、厄介者だが、処分をしてやらずばなるまいと、お節介者の村正どんは、一歩足を踏み入れて、
「戸惑いをなされたな、ここは御簾の間で、開かずになっている、お部屋はどちらで、連衆《つれしゅう》は?」
と、おどすように言いかけると、
「いや、戸惑いはいたさぬ、御簾の間を所望で来た身じゃ、酩酊《めいてい》
前へ
次へ
全41ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング