天性学問が好きでなかったから、学問の庭へ行くことを怖れ且つ避けました。そこで、主人側でも、むりやりにということをしないで、「なにも、字を知ることが最上の学問ではない、人間、字を知らなくても、字を知る以上の生活ができるものだ」という弾正が、他の人にはわからない警語を添えて、与八を早くから水車番に下ろしたものですから、これを天職として生きて来ただけのものです。その後、字を知らなくてはいけない、字を書かないと恥をかくということを、与八がようやく自覚して来たのは、相当の年になってからですが、その事は自ら言い出せませんから、水車小屋へ入って、囲炉裏《いろり》の灰の上へ、いろは、アイウエオを書いては消し、書いては消しているところを、弾正に認められて、それとなくお手本を与えられたのが、およそ字学というものの最初なのです。そうして、与八が若干の文字、曲りなりに手紙の文書を書いたり、小遣帳《こづかいちょう》をつけられる程度の素養が出来上ったと認められたのですが、これはかつて表面に現わしたことはない。今、こうして、この土地に安定をして、自分の周囲へ子供たちが集まって来るのを見ると、この子供たちを、このまま
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