取納めんとする刹那《せつな》、物蔭よりむらむらばっと現われ出でた、新撰組の壮士四十余名!
兼ねて期したることながら、ここで入り交っての乱刃。
前に言う如く、この夜は、月光|燦《さん》として鏡の如き宵であったから、敵も味方も、ありありとたがいの面を見ることができる。
以前は同じ釜の飯を食った間柄とは言いながら、こうなると、名を惜しみ腕を誇るの気概が、猛然として全身に湧き上って来る。
四十余人の新撰組はみな鎖をつけていた。七名の御陵衛士は、服部を除く外はみな素肌であったこと前に申す通り。
鳴りをしずめて待構えていた新撰組に隙間のあろうはずはなかったが、来り戦う七名の壮士も武装こそしないが、いずれも覚悟の上には寸分の隙もない。
所は京都七条油小路、時は慶応三年十一月十八日の夜――新撰組の方で、角の蕎麦屋《そばや》に見張りの役をつとめていた永倉新八と原田佐之助――これは鉄砲の用意までしていたということである。
御陵衛士隊の一行がやって来る方向だけの兵を解いて置いて、そのほかは三方ともに固めている。三方を固めたといっても、特に要塞を築いたわけではなし、野戦の利を得た広野へ導いたわけ
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