を厭《いと》わない允許《いんきょ》を与えました。
そこで、関守氏も大いに会心の思いをしました。
今までは自分の小使銭をやり繰って、相当掘出し物をして喜ぶ程度の趣味慾でありましたが、今度のは少なくとも国家的の見地から、潤沢な資本を擁して、大量買収を行うことができるというものである。もとより、斯様《かよう》に時勢を憂えているものは関守氏に止まらないから、来《きた》るべき乱世の世を予想して、自家の財産の処分に取越し苦労をしている大家というものがいくらもある。露骨に言えば、思いの外の名門高家でも、今のうちに内々財産を処分して置きたがっているものも相当あることを、関守氏は疾《と》うに打算しているのみならず、その知識の限りでは、ドコにどういう名宝名品があって、それは買収が可能か不能かということまで、相当、当りをつけているのです。
ですから、一朝資本が調《ととの》えば、あとは洪水の如く水が向いて来る。そのことを考えて、とりあえず、この広い光仙林のいずれかに、隠し倉庫《ぐら》を建築しなければならぬ。その設計も、早や相当プランが出来ている。蒐集の順序方法に於ては、ここの光悦屋敷の名を因縁として、まずあらゆる光悦物を集めるということから発足したい。さる光悦ファンの金持があって、光悦に関する限り、価を惜しまず名品を集めたいという触込みを先触れとして、それに準じて光悦以上、光悦以下、或いは光悦以前、光悦以後に及ぼそうという段取りまでが、ほぼ科学的に関守氏の胸に疾うから浮んでいる。
こうして、お銀様に進言をして嘉納された関守氏が、御殿を出て来ると、そこで、接心谷の方へ、とぼとぼと歩んで行く弁信法師を発見しました。
二十
山科の里に於てこそ、こういう閑居も有り得るし、閑談も行われるのでありますが、ホンの一歩を京洛の線に入れると、天地は悽愴《せいそう》を極めたものであります。
悽愴と言ったところで、それは天が悽愴で、地が殺気を含んでいるだけで、人家並みには何の異状もないのです。異状がないのみか、見ようによっては、京洛の天地に人間景気が湧いている。心ある人は世の成行きを憂えもし、怖れてもいるけれども、京都が歴史に現われた時のように、保元平治の恐怖時代でもなければ、木曾乱入の壊滅状態に陥っているわけでもなし、また、応仁の乱の前後のように、都の中が兵火で焼却され、八万二千の餓死者が京都の市中に曝《さら》されたといったような現実の体験は少しもなく、全国の諸侯は競《きそ》ってここへ集まるにつれて、諸般の景気はよくなる。幕末インフレの景気を、京都がひとり占めにしているといったようなもので、時代の中心は、江戸を離れて京都に帰ってしまったようなものですから、未来と将来とに思いを及ぼさない限り、京都の市場はインフレの天地であります。
そうして景気というものの前兆も、現証も、まず花柳界に現われたものだから、京都の遊廓《ゆうかく》の繁昌というものが、前例を越えているというのもさもあるべき事です。
そこで当然、日本色里の総本家と称せられた島原の廓《くるわ》はいよいよ明るい。今宵《こよい》も新撰組の一まきらしいのが大陽気に騒いで引揚げたことのあとの角屋《すみや》の新座敷に、通り者の客の一人が舞い込んでいる。この人のあだ名を俗に「村正《むらまさ》」と言っている。士分には相違ないが、宮方か、江戸かよくわからない。江戸風には相違ないが、さりとて、生《は》え抜きの江戸っ児でない証跡は幾つもある。遊び方はあんまりアクが抜けたとはいえないが、「村正どん」で相当以上に持てている。村正といえば、相当の凄味《すごみ》のある名ではあるが、この通客はあんまり凄味のない村正で、諸国浪人や、新撰組あたりへ出入りのとも全く肌合いが違い、まず体《てい》のいいお洒落《しゃらく》に過ぎない。
しかし剣術の方は知らないが、学問だけはなかなかある。ちょいちょい脱線したところを見ると、洋学がかなり達者なようである。多分その洋学で、多分の実入《みい》りがあると覚しく、金廻りはかなりよろしく、使いぶりも悪くない。それが「村正村正」で持てるのは、人柄そのものが、村正そのものの名からして起る凄味とは縁が遠い男であるにかかわらず、さしている刀だけが自慢の「村正」であるというところから、あたりが「村正村正」ともてはやしたというに過ぎない。事実、村正を差していると自分から花柳界へ触れ込む男なんぞに、そんな凄いのはないはず。
この男は、勝負事――といっても当事流行の真剣白刃のそれではない、一月から十二月までの花と花とを合わせて遊ぶ優にやさしい勝負事が大好きで、勝った時はいいが、負けてすっからかん[#「すっからかん」に傍点]になると、ドタン場で自慢の「村正」を投げ出し、さあ、これを抵当《かた》に取
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