「なるほど、君は愛犬家の資格を備えている、この犬が一見して君になつくんだからな、もっとも純日本産の犬と違って、あっちの犬は開けている」
「こりゃ、ドコの国の犬だい」
「これは、ドイツという国の種で、グレートデーンという舶来犬だそうだ、デーンだから、デンコウとつけたが、電光石火の如く走るという意味も兼ねている」
「あ、力がありやがる」
 改めて米友は、縄をかけ外してみて、この犬の力量を認識する。
「あるとも、この犬が三匹いると、百獣の王なる獅子、あちらではライオンという、その獅子と取組むそうだよ、犬が二匹で大熊を退治るそうだ、まず犬のうちでいちばん強いのはこれだろう」
「どうして、どこから連れて来たんだ」
「これは泉州堺から売りに来たのだ、毛唐が黒船に載せて大切につれて来たのを、今度、国へ帰るので、もてあまし、引取り手を探した揚句が、ここの女王様のお気に入り、早速引取ることになったのだが、この通り可愛ゆい奴だが、いやはや、世話をする段になると並大抵じゃないぞ」
「そうかなあ――一番、責めてみてくれべえ、デン公、こっちへ来い」
 米友が先に立って、走り試みると、豪犬が勇躍してそれに相従う。
 かくて、この大犬と、小男とは、再び光仙林の林の中へ没入してしまいました。
 不破の関守氏は、その後ろ影を見送って、ひとり呟《つぶや》いて言いました、
「物あれば人あり、いい時にいい人を与えられたものだ、デンコウのお相手はあれに限る、おかげで拙者も、お犬係りを免職になった、事実、これから、当分、あの犬の面倒を見なけりゃならんとすると、考えるだけでも大役だった!」

         十六

 走り去る小男と、大犬の姿が、光仙林の中に没入した後ろ影を、不破の関守氏は、ぽつねんとながめて、ひとり言を言っておりますと、後ろから、
「ヘエ、こんにちは、お早うございます」
 いやにしらっぱくれた挨拶《あいさつ》をする者がありましたから、関守氏が振返って見ると、三度笠に糸楯《いとだて》の旅慣れた男が一人、小腰をかがめている。
「やあ、がん[#「がん」に傍点]君ではないか」
「ええ、そのがんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]でげすよ」
「もう帰ったのか、なるほど早いもんだなあ、能書だけのものはあるよ」
「へえ、たしかにお使者のおもむきを果して参りました、青嵐親分《あおあらしおやぶん》にお手紙をお手渡しを致して参りました、同時に、あちらの親分からこちらの親分へ、この通り、お消息《たより》を持参いたして参りました」
「親分親分言うなよ、人聞きが悪い、ああ、これがその青嵐氏からの返事――十四日|亥《い》の時、なるほど早いものだなあ、その足は」
「いいえ、もう疾《と》うに、昨夜のうちに、こちらまで参上いたしたんでげすが、つい、御門前がやかましいもんですから、今朝まで遠慮いたしやしてね」
「何も昨晩、この門前が格別やかましいこともなかったはずだ――ははあ、あの犬だな、今日の明け方、犬が吠え出したのが不思議だと思ったら、貴様がやって来たんだな、ああ、それでわかったよ、それそれ、それで犬が吠えたんだな、犬がこわくって、今まで近寄れなかったというわけだな、意気地がねえなあ、口と足は達者だが、肝っ玉ときた日にはみじめなものだな」
 不破の関守氏からこう言ってからかわれたので、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は躍起となって、
「いや相性《あいしょう》がいけねえんですよ、とかく、犬てえ奴はがんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]の苦手でげしてね」
「そうだろう、犬に吠えられるような人相に出来ている。今のあの小男を見たか、あれは人徳を持っているから、犬もおのずから懐《なつ》いて、一見旧知の如く、彼が走れば犬も走る、貴様は臭いをかいだだけで吠えられる、つまり、人格の問題だよ、人徳の致すところだから是非もない、ちと見習い給え」
「冗談《じょうだん》じゃございませんよ、犬に嫌われたからって、人徳がどうのこうのと言われちゃあ埋《う》まらねえ、がんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]儀は犬には嫌われますが、年増《としま》や新造《しんぞ》には、ぜっぴ、がんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]でなけりゃならねえてのが、たんとございますのさ」
「馬鹿野郎――それ、涎《よだれ》を拭いて。その手紙を濡《ぬ》らしちゃいかん」
 かくして不破の関守氏は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵の手から一通の手紙を受取って封を切り、それを読み読み住居の方へ歩いて参りますと、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百も、笠を取り、ござを外《はず》して、それについて来る。
「なんにしても、どちらを向いても百姓一揆《ひゃくしょういっき》てんで、たいした騒ぎでござんしたよ、その中をいいかげん胡麻《ごま》をすってトッパヒヤロをきめ
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