、戻りにもまたこのあたりで、どうやら、己《おの》れを見かけて慕い寄る人の気配を感じたものらしい。さればこそ待っている。
たしかに、この男の勘の鋭さも昂進してきました。案の如く、人が後からついて来るのです。それは今に始まったことではないので、そもそも月心院の庫裡《くり》を抜け出した時から、竜之助のあとをつけて来た人影なのです。いや、それよりも、もっと前、島原の廓《くるわ》を出た時から、三条大橋で待つことを要求された時から、影の形のようについて来た覚えのある人影。
「へ、へ、轟《とどろき》の源松でございます」
先方はもうつい鼻の先までやって来ていて、こちらから咎《とが》められるを待たず、先方から名乗って出たのは先手を打ったつもりらしい。
「多分、そうだろうと思った、お前に見せてやりたいものがある、それ故、ここで待っていたのだ」
「へ、へ、何でございますか、わざわざ、わっしに見せてえとおっしゃいますのは」
「それそれ、これだ、これだ、これを見ろ」
竜之助から指さされたので轟の源松が、この指さされた藪《やぶ》の中を見ますと、
「あっ!」
と言って、思わずたじたじとなりました。轟の源松とも言われる捕方《とりかた》の功の者がおどろいたのだから、尋常の見物《みもの》ではありません。
四十九
すすき尾花の山科原のまんなかに、竹の柱を三本立てて、その上に人間の生首が一つ梟《さら》してあるのです。
と言ったところで今時、生首を見せられたからといって、単にそれだけで腰を抜かすようでは、源松の職はつとまらない。源松が驚いたのは、その梟し首が自分の首ではないかと思ったからです。宇治山田の米友も、生きながら梟しにかけられたことはあるが、あれは正式の公法によって処分されたものですから、見るほどの人が見ていい気持はしなかったけれども、その処刑というものは、形式が異法だと思うものはありませんでしたが、これは変則です。いかに重罪極悪非道の者といえども、こういう惨酷極まる梟され方というものはない。
まず、三本の竹の柱を、いとも無雑作《むぞうさ》に押立てて、その上に人間の生首一つ、その三本の竹の柱の下に、丸裸にした胴体の下腹と胴中を男帯で結えた上に、首だけは竹の上に置かれたように出ているが、実は、首と両腕とを下で細引で結んで釣り下げてある。細引はまだ新しくて、ゆとりがたっぷりあるのがブラ下がって地に曳《ひ》いている。
ばっさりと、腕の利いたのに切ってもらい、それを体《てい》よく台の上へのっけてあればまだ見られるというものだが、斬られていない首が、醜体を極めた胴中そのものと共に、ダラしなく梟しっぱなしてある。嬲《なぶ》り殺《ごろ》しにした上に、嬲り梟しというものに挙げられているので、轟の源松が、あっ! と言ってそれを見直した時に、机竜之助が、淋しげに微笑を含んで言いました。
「どうだ、お前の面《かお》に似てはいないか」
「左様でございますねえ」
源松が、なるほど、そう言われれば、その生首は、見ているうちに、自分の面に似てくるような思いがしてなりません。寒気がゾッと襲うて来て、足もとがわなないてくる、それをじっと踏み締めて、見上げ見下ろすと、つい今まで気がつかなかったが、捨札がその首の傍らにある。
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「右之者、先年より島田左兵衛尉へ隠従致し、種々|姦謀《かんぼう》の手伝ひ致し、あまつさへ、戊午年以来種々姦吏の徒に心を合はせ、諸忠士の面々を苦痛致させ、非分の賞金を貪《むさぼ》り、その上、島田所持致し候不正の金を預かり、過分の利息を漁し、近来に至り候とても様々の姦計を相巧み、時勢一新の妨げに相成候間、此《かく》の如く誅戮《ちゆうりく》を加へ、死体引捨にいたし候、同人死後に至り、右金子借用の者は、決して返弁に及ばず候、且又、其後とても、文吉同様の所業働き候者|有之《これあり》候はば、高下に拘らず、臨時誅戮せしむべき者也」
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「旦那、わかりました、こりゃ、わっしの首じゃございません、猿の首でございますよ」
「猿! いやあ、猿じゃない、やっぱり人間だろう」
「いえ、猿と申しましても、野猿坊《えてぼう》のことじゃあございません、目明しの猿の文吉て奴で、ずいぶん鳴らしたもんでございますが、こんなことにならなけりゃいいと思いましたが、果してこうなるたあ因果な話で、いささかかわいそうでもございますよ――まあ、お聞き下さい、こいつの素姓というのは、こういうわけなんです」
と轟の源松は、不意に見せられた生首が自分の首でなくて仕合せ、その素姓がすっかりわかってみると、持前の度胸を取り直して、今度は逆に、説法する気になったものらしい。
「こいつはねえ、上方者《かみがたもん》なんです、京都のみぞろというところに生れ
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