た弾丸黒子《だんがんこくし》の姿を見ると、そのただ犬でない犬が、唸《うな》るが如く、米友に向って吠えました。
「やあ、いたな!」
彼が、摺《す》りよるほどに近づくと、犬は続いて尾を振って吠えかける。その吠える声が、さきに米友が評した如く、「腹で吠えてやがる」という底力のある吠え声であることはよく知っているが、それが威嚇《いかく》の音声でないことは、多少とも尾を振っていることを見てもわかる。且つまた、犬を知り、犬を愛し、犬を理解することに於て、宇治山田の米友はまた一つの天才である。
「やあ、いたな!」
犬の傍へ寄ると、犬がまた米友に飛びついて来ました。飛びついて来たからといって、この異様な珍客に争闘を挑《いど》むのではない、これを懐かしがって心からの抱擁を試みんとするものらしい。
けれども、この抱擁が生やさしい抱擁でなかったことは、一見すると、米友がこの犬のために抱きすくめられてしまったとしか思われない。尋常ならば悲鳴をあげ助けを呼ぶべきほどの体制に置かれた瞬間、米友は更にひるむということを知らないで、抱きすくめられながら、それを抱きとめてあしらっている。
一見したばっかりの米友が、かくまで犬を愛するということは、犬にかけての天才であってみると不思議はないようなものだが、相手方の犬が、米友を一見しただけで、こうにも懐かしがるということは解《げ》せない。
本来、沈毅《ちんき》にして、忠実なる犬であればあるほど、人見知りをすべきはずのものである。真に沈毅にして、勇敢にして、忠実なる犬は、二人の主というものを知らない。主人以外の人の与うる物を食わない。主人以外の人には一指を触るることを許さないはずのものであるべきに、この犬――しかもただ犬でないと、最初から米友が極《きわ》めをつけてかかった非凡な犬が、こうまで一見の人になつき慕うとは、慕われてかえって物足りない。
人見知りをしない犬、節操を解しない犬、忠義ということを知らぬ犬、勇気なき犬、公娼《こうしょう》の如き犬ならば知らぬこと、米友ほどのものが、あらかじめ極めをつけた犬にしてこのことあるは何が故だ。
そういうことを考慮に置かず、ただ見ていれば、何のことはない、その非凡犬と、小男とが、必死になって、組んずほぐれつしているとしか見えない。血こそ流さないが、血みどろで格闘しているとしか思われない。
ことに、この
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