治場へさえも、なるべく遠のくように心がけていると、今度は、先方から押しかけて来る、その人の足が日に増し、これも加速度に殖《ふ》えてくる気配を見て、与八がまた怖れる。
 与八の心配としては、どうも、これを早く消してしまいたい。自分は、人並み足らずの、頭のない人間で、決して神様や仏様の乗りうつりでもなんでもありはしない。自分は馬鹿だから、せめて世間並みのところで心やすく働かせてもらいたいと一生懸命につとめているのを、世間が買いかぶってくれてしまっている。そのことわけを言って、辞退をすればするほど、買い手が殖えて来る――与八は、どうかしてそれを今のうちに予防しなければならない、ということを、心ひそかに恐れ怖れているのです。
 それから、もう一つ――与八が内心の恐れ、というよりは、内心の責務に責められて、これを怠ってはならないと絶えず鞭打たれているような心持の一つに、郁太郎《いくたろう》の教育のことがあります。
 郁太郎も、今年はもう数え歳の五つです。これから人間をこしらえなければならぬ、その父となり、母となり、兄となり、姉となり、師となり、友となる一切の責任が、自分一つの身にかかっているということを、与八は常に、切々《せつせつ》と責められているのですが、今日この頃、この地へ落着いてみると、その責任が全く確実性を帯びて来ました。
 この子を教育しなければならない、他の子供の教育はいわば片手間であるが、この子供は特別に自分の上に課せられた任務であることを感じてみると、漠然とした、その教育方針を考えさせられるのも当然です。
 この子供は素姓の優れた家柄に生れた子だ、将来どんなことになるか、現在ではわからないが、将来を思うと、畢竟《ひっきょう》、これを父親に似せてはならない、お祖父《じい》さんに似せなくてはならないということが、与八の頭へ熱鉄の如く打込まれるのであります。
 郁太郎の父は竜之助であって、その祖父は弾正であることを、与八ほどよく知っている者はない。父の竜之助の優れた天分の人であることは、その善悪邪正にかかわらず、与八はよく認めている。それを誤ったものに教育があるということを、大先生《おおせんせい》すなわち弾正の口から、絶えず与八は聞いて知っている。大先生の教育がわるかったのではない、大先生が永らくの御病気で、竜之助様によき教育を施す隙がない間に、竜之助様の悪い方が伸
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