いです、たしかに引受けました」
それと知れば、ただではこの使はつとまりませんよ、何ぞ奢《おご》りなさい、とでも嬲《なぶ》りかけらるべきところを、この好青年は、悉《ことごと》く好意に受取ってしまったものですから、兵馬はいよいよ済むような、済まないような気分に迫られたが、今更こうなっては打明けもならず、また、ブチまけてみるがほどのことでもないと、
「では、どうぞ、お頼みします、その代りに君の笠を貸して下さい」
「竹の饅頭笠《まんじゅうがさ》で、いやはや、御粗末なもので失礼ですが、お言葉に従いまして」
青年は、自分のかぶって来た饅頭笠を改めて兵馬に提出したが、これはなんらの文字を書こうとも言わず、それはまた提灯骨《ちょうちんぼね》で通してあるから墨の乗る余地もないもの。
これが縁で袖摺り合う間、二人は十年の知己の気分になって、ここで、おたがいに携帯の弁当を開き、水筒の水を啜《すす》って、会談多時でありましたが、青年は食事中に、歴史的知識を兵馬に授けました、
「ここです、この場所が、柴田勝家じだんだ[#「じだんだ」に傍点]の石というのです、織田信長が本能寺で明智のために殺された時、柴田勝家は北軍の大将として、佐々、前田らの諸将を率いて、越後の上杉と戦っていたのですが、変を聞いて軍を部将に托して置いて、急ぎ都をさして走り帰ったのですが、この、柳ヶ瀬のこの地点へ来ると、もはや羽柴秀吉が中国から攻め上って、山崎の一戦に明智を打滅ぼしたという報告を、ここで受取ったものですから、柴田が、猿面郎にしてやられたりと、地団駄を踏んだという言いつたえがあるのです」
「そうでしたか。してみるとこの地は、勝家にとってはなかなか恨みの多いところだ、万一、あの人が中原に近いところに領土を持っていたら、秀吉をして名を成さしめるようなことはなかったに相違ない」
「それはそうに違いないと僕も思いますが、また必ずしも、そうと断言のできないものもありますよ。僕は、これでもやっぱり北人ですから、勝家|贔屓《びいき》はやむを得ませんが、なにしろ、相手が秀吉ですからなあ。徳川家康でさえ、あの時に京畿の間にいたんですが、手も足も出ない、それを、あの秀吉が疾風迅雷で中国からかけつけて、ぴたぴたと形《かた》をつけてしまったんですからな、あれは天才ですから」
「しかし、あの時の家康は裸でしたから、手も足も出ないのが当
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