げ終わり]
「百行依ルトコロ孝ト忠、之《これ》ヲ取ツテ失フ無キハ果シテ英雄、英雄ハタトヘ吾曹《わがそう》ノ事ニアラズトスルモ、豈《あに》赤心ヲ抱イテ此ノ躬《み》ヲ願ハンヤ――」
と吟じ了《おわ》って斎藤が、附け加えて言う、
「彼は知っての通り武州多摩郡の土民の出で、天然理心流の近藤家へ養われて、その四代目をついだものだ。天然理心流というのは、彼の先祖が立てた一流だが、新陰や一刀流の如き立派な由緒はない。この詩は彼が先頃、養父近藤周斎の病を聞いて心痛のあまり、幾度か養父の病気を見舞わんがために東《あずま》へ下ることを願ったが聞き入れられない、今のところ、この京都のお膝元から、近藤に離れられたのでは代るものがない、たとえ親の病気といえども、朝幕に於て今の近藤を放せないというのは無理がない、よって近藤が悲しみを抑えて詠んだ詩がこれなんだ。いいか、もう一ぺん読むから、よく聞いて居給えよ」
 斎藤一は感慨に満ちた声で、右の近藤の詩を再吟した上、
「詩だって君、詩人の詩というわけにはいかないが、ちゃあんと一東《いっとう》の韻《いん》を踏んでいるし、行の字を転換すれば、平仄《ひょうそく》もほぼ合っているそうだ、無茶なことはしておらんそうだ。しかし、我々は詩を取るのではない、志を取るのだ、これの解釈をしてみると、人間百行のもとは忠と孝だ、忠と孝を離れて、行もなければ、道もない、真の英雄というものは、この道を取って失わざるものをいうのだ、そこで、転句に至って、わが身を謙遜して言うことには、我々は決して英雄でもなければ、英雄を気取るものでもないが、この赤心を抱いて、この躬《み》を尽そうと思う精神だけは英雄に譲らない、とこう言うのだ。立派な精神ではないか、立派な覚悟ではないか、近藤の鬼手《きしゅ》に泣かないものも、この詩には泣くよ、泣かざるを得ないよ。あの時に、この詩を示された時に、鬼のような隊中の荒武者がみんな泣いたぜ、おれも泣いたよ。彼のは嘘じゃないのだ、言葉を飾って、忠孝を衒《てら》うような男ではないのだ。その彼が、この詩を詠じた心胸には泣かざるを得ん――」
 斎藤一は、感情の高い男と見えて、その当時を回想すると共に、声を放って泣き出してしまいました。

         三十七

「世間は彼を誤解している、彼の如く精神の高爽にして、志気の明快な男を見たことがない、英雄たとえわが事
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