戦略から言っても、外交から見ても、策の得たるものでないことがわかるから、そこで、前門の狼とは暫く妥協を試みて置いて、下流の乞食から退治にかかろうとする魂胆であるらしい。
そう言いっぱなしにして、相手の返答は聞かず、早くも橋の袂《たもと》をめぐって、河原をひた走りに走りました。もちろん、めざすところの目的は、月夜のお菰《こも》の川渡りであります。彼等の二個のお菰は、斯様《かよう》な鼻利きのすばらしい猟犬に嗅ぎつけられた運命のほどを知るや知らずや、悠々閑々として、月夜に布袋《ほてい》の川渡りを試みて、誰はばかろうとはしていない。いい度胸です。でなければのほほんの無神経です。
且つまた、橋の上に取残された狼にしてからが、頼みも頼まれもしない藪《やぶ》から棒の送り狼に、待っていてくれと注文されて、その注文どおり、馬鹿な面をして待っていてやる義務もあるまいではないか。
三十三
一方、視野を転換して、のんきな月夜の川渡りの二人のお菰さんの身の上に及ぶ。
二人とも、いい図体をした屈強の男ざかりでありながら、ドコぞ箍《たが》がゆるんでいればこそ、今日こうして菰をまとっている。
「いい心持だなあ、月夜の川渡り」
「ほんとにいい心持だよう、月夜の布袋《ほてい》の川渡り」
「月夜に釜を抜かれるということがあるが、その解釈を知っているか」
「知らん――いろはガルタには、わかったようでわからんのが幾つもある、我々いい年をしながら、いろは[#「いろは」に傍点]さえ充分にはわかっとらん」
「況《いわ》んや天下国家のことや」
「なんにしても、月夜の布袋の川渡りはいい」
しきりにこの二人が布袋の川渡り、布袋の川渡りということを口にしているのは、自分たちが菰を被《かぶ》っている頭の上に、身上道具の一切合財《いっさいがっさい》をいただいているからであろうとは思われる。身上道具の一切合財といっても、鍋釜で尽きているらしい。鍋釜を所有していれば、中に入れるものは、今日は今日、明日は明日で、絶対他力まかせになっているところに彼等の身上がある。そこで、月夜に釜を抜かれるという「いろはガルタ」が不意に飛び出したのも、つまり、頭上にいただく鍋釜から起った聯想らしい。
「乞食を三日すれば忘れられん――というが、まさに正真の体験だ」
「そうだ、この趣味がわかると全く、人間並み生活などはば
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