、またちょっと立ちどまって、仔細らしく思案の頭をひねっている時、後ろからこっそりと忍び寄った、別にまた一つの物影がありました。
「へえ――お淋《さび》しくっていらっしゃいましょう」
とイヤに含み声で、前なる落し差しにこう言いかけたので、立ちどまった前の爛酔の客が、黙ってこちらをかえり見る形だけをしました。
「誰だ」
「へえ――お一人でお帰りでは、さだめてお淋しくっていらっしゃいましょうから、お宿もとまでお送り申し上げようと存じまして」
 前なる人から誰何《すいか》されたので、後ろなる忍び足が直ちに答えました。
「別に、送ってもらわんでもいいが」
「いいえ、その、頼まれたんでございましてな、あなた様をお宿所までお送り申し上げまするように、実は頼まれたんでございまして」
「誰が頼んだ」
「わっしは、島原の地廻りの者なんでございますが、角屋《すみや》さんの方から、たった今、これこれのお客様がお帰りになるから、おそそうのないようにお宿もとまでお送り申せと、こう言いつけられたものでござんすから、それで、おあとを慕って……」
「要らざることだ、女子供ではあるまいし、一人歩きのできない身ではない」
「ではございましょうが、お見受け申すと、どうやら不自由なところがございます御様子、ぜひお前、お宿もとまでお送り申せと、このように頼まれたものでございますから、ついその、失礼ながら、お後を」
「廓《くるわ》からついて来たのか」
「はい、左様でございます」
「お前が勝手に頼まれて、勝手について来る分には、来るなとは言わないが、こっちでは頼まぬぞ」
と言いきって、また立ち直って、前へ向って歩み去ろうとしますが、ここまでお後を慕って来たという忍び足は、はい、左様ならと言っては引返さない。
 ついと、鼠の走るように走り寄って来て、ついその落し差しの膝元まで来てしまいました。
「はい、あなた様には御迷惑でおいであそばしても、こちらは頼まれたお役目が立ちませぬでござりますから、どうか、お供を仰せつけられ下さいませ、お宿もとまで」
 見れば町人風のたぶさが、頬かむりの下に少し崩れている。紺の股引《ももひき》腹がけで、麻裏草履をはいて片膝を端折《はしょ》っている。抜け目がない体勢ではある。
「は、は、は、送り狼というやつかな」
と前なる頭巾が、冷やかに笑いました。
「えッ」
 少々仰山な驚きかたをして見
前へ 次へ
全201ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング