三人の歩調の旅人のために発せられたものに相違ない。
それと聞いてみると、ともかくも一応は歩調を止めないわけにはゆかない。
竜之助と、新兵衛と、譲とは、ぴたりと路中のある地点に歩みをとどめて突立ちました。六尺棒の軽格がそれに向って、足音を重くして静かに近よって来る。
四十五
六尺棒を携えた軽格の士が、行手を遮《さえぎ》って、
「しばし、お控え下さい、この先で、たった今、凄愴《せいそう》たる殺陣が行われつつありますから……」
「ナニ、殺陣が」
「して、何者と何者とが相闘っておりますか」
田中と山崎の二人が、踏みとどまって反問すると軽格が、
「いや、だまってお控え下さい、近よるは危険千万だからおとどめ申すのだ」
「何を」
田中新兵衛がいきり立って進んだと見ると、やにわに一拳を振り上げて、したたかに軽格の眉間《みけん》をナグリつけました。
「うーん」
と言った軽格は、のけ反《ぞ》ったかと思うと、もう姿が見えません。
これはあまりに乱暴です。ではあるけれども、口よりも手の早い田中新兵衛ではやむを得ない。一拳の下に軽格を打ち倒して置いて、三人がまた歩調を同じうしてこの非常線を突破してしまいました。
行手に殺陣があろうと、剣山があろうと、そんなことで踏みとどまるこの三人でないことは、わかる人にはわかっているが、軽格にはわかっていなかったらしい。むしろ、そういうところへ好んで行きたがる人格であることを知らなかったのは、六尺棒の不運であったと見えるが、それにしても一拳の打擲《ちょうちゃく》だけで、声も姿も消滅してしまったのはどうしたものか。
かくて、三人が踏み破って行くと、背後から一隊の人がバラバラと走って来る物音、振返ってそれを見ると、月光かがやく抜身の槍をかざして、身を結束した壮士が四十余名――こなたを指して乗込んで来るのです。
「それ、来たぞ」
何が来たのだかわからないが、三人はそれを避けて通すと、すれすれに通行したが、鞘当《さやあ》てを演ずることもなく、しばらくすると、これも前の軽格と同様、音も姿も夜霧の中に消えてしまいます。
またしばらくすると、右手の小高いところに山門があって、そこばかりは特に明るい。見れば大きな高張提灯《たかはりぢょうちん》が門の両側に出ている。しかもそのいずれもの提灯が、菊桐の御紋章である。そうしてその光で見ると、門の下にかかっている一方の表札は、
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「高台寺月心院」
[#ここで字下げ終わり]
他の一方のは、まだ木の香も新しい表札で、
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「御陵衛士屯所」
[#ここで字下げ終わり]
とありありと読める。これを山崎譲が指して、
「あれ見給え、あれが高台寺の月心院、伊東が牛耳をとって、御陵衛士隊の本部として固めているところだ」
「なるほど」
「あの菊桐の御紋章が物を言うのだ、あれにはさすがの近藤勇も歯が立たない」
「伊東の得意とするところだ――事ある毎に菊桐御紋章の提灯を持ち出すことが伊東の得意で、その提灯を見て切歯するのが近藤勇」
高台寺はそのまま過ぎて、なお同じ歩調で進んで行くと、ようやく一つの橋のたもとへ出ました。どこまで続くと思った町並の単調が、ようやく高台寺の提灯で破られると、今度は、橋にかかって来ました。橋は京都の名物の一つ、ただし、何という橋かその名はわからない。
木津橋とも読めれば、木屋橋と読めないこともない。また読みようによっては大津屋橋とも読めそうだ。その橋の南側のところが板囲いになっている。多分、近い幾日かの間に火事が起って、その焼跡だろうと思われる。
四十六
「向うから人が来るよ」
なるほど提灯をつけて橋を渡って、こちらへやって来るものがある。何者が来ようとも、遅疑するこちらではない。
しかし、相当の距離もあるとおもったそのうち、だんだん近よるに従って、その提灯の紋所がいよいよはっきりして来る。それを見ると、菊桐の御紋章です。
菊桐の御紋章は、たったいま山崎から説明を聞いたところのもの、さいぜん見たのは高張提灯、これは弓張のさげ提灯です。
二人連れで、いずれも両刀を帯びた壮士である。前のが提灯を持って先導し、うしろのが、少しほろ酔い機嫌で、微吟をしながら歩いて来るのです。
こちらの三人と、ぱったり行会った途端、山崎譲がまたしても、その御紋章の提灯をたずさえた先導の壮士に向って呼びかけました、
「おいおい、斎藤一《さいとうはじめ》ではないか」
「拙者は斎藤だが、そういう貴殿は誰だ」
「山崎だよ、山崎譲だよ」
「ああ、山崎か」
「斎藤、君はこんな夜中にドコへ行くんだ、しかも、もったいない御提灯などを提《さ》げこんで……」
「は、は、は、ドコへ行くものか、この御紋章の示す通りだ」
「高台寺の屯所《とんしょ》へ帰るのか」
「そうだ、そうだ」
「そうして、今頃まで、どこで何をしていた」
と山崎から推問されると、斎藤と呼ばれた壮士は、提灯を持ったまま橋の真中に踏みとどまり、
「七条の醒《さめ》ヶ井《い》の近藤勇のところへ招かれて行ったのだ」
「近藤のところへか――そうして、連れは誰だ」
連れはだれだと山崎から問いかけられて、思い出したように振返って見ると、もうその先導して来た一人は橋の上にいない。
「おや」
と思って見直すと、提灯持をそこに置きはなして、自分はもう前へ進んで、橋の詰の方へ酔歩蹣跚《すいほまんさん》として行く姿が見える。その主《ぬし》も酔っているが、提灯の斎藤も少なからず酔っている。同行のものを遣《や》り過ごしてしまっても、自分はまだいい気で橋上に踏みとどまって山崎と話し込んでいる。山崎もまた、いい気で問いをかけている。
「連れのあれは誰だ」
その後ろ影を見やって、斎藤にたずねると、斎藤が高く笑って、
「君も知ってるだろう、伊東だよ、伊東甲子太郎だよ」
「ははあ、あれが伊東だったか」
「今は、伊東は大将なんだぜ、御陵衛士隊長と出格して、新撰組の近藤と対立の勢いになったのだ」
「そうか、そうして君はいったい、どっちに属するのだ、新撰組か、御陵衛士隊か」
山崎から訊問《じんもん》のように言われて、斎藤は、
「拙者か――拙者はもとより新撰組、だが目下は、都合があって御陵衛士隊に寓《ぐう》している」
「二股者《ふたまたもの》――」
と山崎から一喝《いっかつ》されたが斎藤、なかなかひるまない。
「いいや、二股ではない、昨日は新撰組にいたが、今日は御陵組だ、昨日は昨日、今日は今日、朝《あした》には佐幕となり、夕《ゆうべ》には勤王となる、紛々たる軽薄、何の数うることを須《もち》いん――」
斎藤の語尾が吟声になったが、直ちに真面目に返って、山崎の耳に口を寄せると、
「近藤隊長の命で、御陵衛士隊へ間者に入ってるんだよ、僕が――伊東をはじめ高台寺の現状を、味方と見せて偵察し、巧みに近藤方に通知するのが拙者の任務だ」
「そうか」
山崎も納得したらしい。この斎藤というのは名を一《はじめ》と言い、藤堂平助と共に、江戸以来、近藤方の腹心であったが、今度は藤堂と相携えて御陵隊へ馳《は》せ加わってしまった。藤堂の方は新撰組に何か不平があってしたのだから、それが本心であろうけれども、斎藤はあらかじめ近藤の旨を受けて、間者として高台寺へ入り込ませてあるのだという。その内状を山崎が聞いてなるほどと思う――
「して、こんなに遅く、伊東を案内してドコへ行ったのだ」
「それを話すと長いが、まあ聞いてくれ」
これもいい気なもので、御紋章の提灯を橋の一角に安置して置いて、もっぱら山崎を話敵《はなしがたき》に取ろうというものです。
四十七
斎藤一の語るところによると、今晩この男が、御陵衛士隊長伊東甲子太郎を送って、ここのところを通りかかった事情は次の如くでありました。
上述の如く、近藤の新撰組と、伊東を盟主とする御陵衛士隊とは、相対峙《あいたいじ》して形勢風雲を孕《はら》んだ。どのみち、血の雨を降らさないことには両立のできない体勢になっている。土方歳三が、ついに火蓋《ひぶた》を切って、
「高台寺の裏山へ大砲を仕かけて、彼等の陣営を木端微塵に砕き、逃げ出して来る奴を一人残らず銃殺すべし」
それを近藤が抑えて、
「何と言ってもお場所柄、それは穏かでないから、まあ、おれに任せろ」
というわけで、なるべく周囲の天地を驚かさないようにして、なるべく最少の動揺を以て彼等|鏖殺《おうさつ》の秘計を胸に秘めつつ、事もなげに伊東へ使をやって、
「君等の隊と我々の隊との間に、戦場が開かれようとして、またしても京の天地に戦慄《せんりつ》が一つ加わった、そうでなくてさえ、人心極度におびえているところへ、また我々の同志討ちがはじまったとなっては、この上の人心動揺はかり難い、君等の奉仕する朝廷へ対しても恐れ多い次第だし、我等のつとむる幕府のためにも不利不益だ、おたがいの間のわだかまりは、先日切腹の茨木ら四人の犠牲で結論がついている、この上は笑って滞りを一掃しようではないか、それには、君と僕とが相和することが第一だ、君と僕とが相和して往来するようになれば、京中の上下は全く安心する、よってこの際、旧交を温めて、快く一夕を語り明かしたい」
こういう意味で伊東へ交渉すると、伊東はそれを承諾した。伊東自身にも、その配下にも、あぶないという予感は充分にあったと思うが、近藤も男、おれも男である、こうまで言ってきているのに、行かないというは卑怯である、というわけで、近藤の招きに応じて今日、昼のうちから七条醒ヶ井の近藤の妾宅《しょうたく》へ出かけたのだ、吾輩がともをして。近藤は非常な喜び方で接待をする。先方には土方もいる。原田左之助もいる。会ってみれば皆、剣に生きる同志で、死生を誓った仲間だ。興は十二分に湧いて、款《かん》を尽して飲むほどに、酔うほどに、ついつい夜更けに及んでしまって、今こうして立ちかえるところなのだ。案ずるほどのことはない、極めて無事にこれから、高台寺月心院の屯所へ帰って快く、ぐっすりと寝込むばかりだ――
こういうような事情を、斎藤一が山崎譲に向って、橋上で、自分も一杯機嫌に任せていい心持で語るのは、もはや、帰ることも忘れているような様子です。
ところが一方、斎藤をここへ置き放して、一歩先に進んだ伊東甲子太郎は、これはまた斎藤よりも一層いい心持で、ぶらりぶらりと橋の袂《たもと》まで来ると、そこに一人の人間が立っているのを認めて、
「おい、誰だ、そこにいるのは」
酔眼をみはって誰何《すいか》したが、返事がない。よって、わざわざ摺《す》りよるように近づいて、
「なんだ、机竜之助氏ではないか」
竜之助と呼ばれた立像は、無言でうなずいているのを伊東が、
「何しに、こんな夜更けに、こんなところにいるのだ、芹沢の来るのを待っているのか、ははあ、山崎と同行か、山崎は今、あの通り、橋の上で斎藤と話している」
伊東も振返って、再び橋上を見ると、立話に夢中な斎藤も、山崎も、てんでこちらのことは忘れてしまっているようです。
「して、貴殿はドコへ行かれる、先年、島原から行方不明になったとは聞いたが、どうして今ごろ、こんなところに何をしておられる」
伊東甲子太郎は、こう言って、橋詰に立つ竜之助に向って問いかけたのは、酔い心地に旧知のことを思い出したのです。
だが、竜之助は相も変らず柳の下に、立像のように突立っているだけで返事がない。酔っている伊東は、返事のないことにも頓着せずに、畳みかけて物を言う、
「今時、貴殿ほどに腕の出来るものを遊ばして置くという手はない、いったい、君は佐幕派かい、勤王派かい」
駄目を押しても相手がいよいよ返事がない。伊東も木像を相手にする気にもなれず、
「そんなことは、ドチラでもかまわん、進退が自由だとすれば、僕のところへ来給え、ついこの上の高台寺月心院に、御陵衛士隊屯所というのがそれだ、貴殿が来てくれれば、死んだ芹沢も喜ぶに相違ない」
と言って誘いかけてみました。
それで
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