来たが、今晩になると考えさせられる――最初に欧羅巴《ヨーロッパ》からアメリカに渡った人々の経験に聞いて見ようではないか」
 そこで、駒井の頭の中に甦《よみがえ》って来た過去の読書のうちのある部分が、ゆくりなくも複写の形となって現われて来たのは、亜米利加《アメリカ》植民史の上代の一部――五月丸と名づけられた船の物語でした。
 亜米利加の歴史を読んだ人で、五月丸の船のことを知らぬ者はない。駒井もそれは先刻承知のことでありました。
 五月丸とは、ここで仮りに駒井がつけた呼び名で、五月が May であり、その下に Flower という字がついているから、直訳してみれば「五月花丸」というのが至当だけれども、日本語としては不熟の嫌いがある。「五月雨丸《さみだれまる》」とでもすれば、ぴったりと日本語に納まりもするが、名によって体をかえることはできない。花はどうしても雨とするわけにはゆかない。そこで駒井は、語呂の調子の上から「五月丸」と呼んでみたが、本来は五月花でなければならないなどと、語学上から考えているうちに、そうだ、今日の門出に、あの五月丸の出立こそは、無二の参考史料ではないか。
 そこまで思い来《きた》ると、駒井はむらむらとして、よし! わが当座の梅花心易として、天上に星は飛ばなかった、船中に杖は倒れなかったが、わが前途の方向の暗示は別のところから求められる。船中図書室の中には新大陸の植民史もある。従って、五月丸の物語も出ている。今晩これから図書室へ参入して、その五月丸物語を、もう一応再吟味することによって、この行の決定的断定の資料とするわけにはゆかないか――
 駒井甚三郎は、散漫な頭脳をそこへ統一して、驀然《まっしぐら》に船の図書室へ向って参入してしまいました。
 左様なことを知ろう由もない金椎は、まだ舳《みよし》によって祈っている。

         三十二

 駒井甚三郎は図書館へ入って、さし当り手近な辞書を取って目的のところを繰って見ると、次の如くあるのを発見しました。
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 May Flower, the small ship (180 ton) which brought the Pilgrim Fathers from Sauthampton England to Plymouth, Mass., December 22, 1620, after voyage of 63 days.
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 そこで駒井甚三郎は、最初の亜米利加《アメリカ》訪問の五月丸が、僅か百八十|噸《トン》の小船で、欧羅巴から亜米利加へ来るまでに六十三日を費したという概念をたしかめました。それから次に、Wakamiya, American History という一書を取り出して繙《ひもと》いて行くと、改めて翻訳するまでもなく、能文を以て次のように書いてありましたから、そっくりそのまま転読しました。
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「女王ゑりざべすノ治世ニ於テ、英国教会ノ制度礼儀ニ一大改革ヲ施スベキヲ主張スル一宗派起リ、教会ヲ清ムルヲ旨義トスルヨリ、コノ宗徒ハ自ラ称シテ『清教徒《ピユーリタン》』トイヘリ。彼等ハ始ヨリ一宗派ヲ組成スル意志ヲ有セザリキ。彼等ガ牧師ノ一人タルろばとぶらおんノ勧メニ従ヒ、英国教会ヲ離レテソノ同志者トナリケレバ、人呼ンデ、彼等ヲ『分離派』若《もし》クハ『ぶらおん派』トナセリ。教会規定ノ儀礼|如何《いかん》ニ拘ラズ、彼等ハ自ラ欲スルママニ信仰ノ事ヲ実行シタルヨリ、猛烈ナル反対起リタレバ、彼等ノ一隊ハ、ぶるうすたあ及ビろびんそんガ指導ノ下ニ、千六百〇八年、英国北部ノ一寒村タルくろすぴーヨリ逃レテ和蘭《オランダ》ノあむすてるだむニ到リ、直チニらいでんニ転ジテ十一年ヲココニ送リタリキ。
彼等ノ和蘭ニ在《あ》ルヤ、一個ノ別天地ヲ造リテ、総テ英国ノ風俗習慣ヲ保チタレドモ、カクノ如キハ一時ノ寄留者トシテノミ之《これ》ヲ能《よ》クスベクシテ、子孫万世ニハ及ボスベカラズ、彼等ニシテ久シク留ラントセバ、勢ヒ彼等ノ別天地ヲ離レ、本国ヲ忘レ、本国ノ語ヲ忘レ、本国ノ伝説ヲ忘レテ、ソノ子孫ヲ純粋ノ和蘭人ト為サザルベカラズ、コレ彼等ノ耐ヘザル所ナリキ。於是乎《ここにおいてか》千六百十一年、彼等ハ相図リテ移住ノ儀ヲ定メ、永ク英人タルヲ得、且ツ基督《キリスト》教団ノ基礎ヲ据ヱ得ル処ヲ求メタリケルニ、あめりかハ洵《まこと》ニ能ク此等ノ目的ニ副《そ》フモノナリキ。彼等ハカクシテ『倫敦《ロンドン》商会』ヨリ、今ノにうじやしい沿岸ニ殖民地ヲ得タリ。
已《すで》ニシテ千六百二十年七月、ぶるうすたあ、ぶらうどふおーど、及ビまいるす・すたんでつしゆノ三名ハ先発隊トナリテ和蘭ヲ去リ、英国さうざんぷとん港ニ到リ、倫敦ヨリ来《きた》レル一味ノ人ヲ併セテ、八月五日『五月花』号ニ搭ジテあめりかヘト出帆シタリ。天候|悪《あ》シクシテ風波ノ険甚シク、九週間ノ後漸クかつど岬ヘ達スルヲ得タレド、彼等ハコノ地ニ殖民ノ権利ヲ有セザリケレバ、更ニ南ニ航シテ進マントセリ。コノ時暴風進路ヲ遮《さへぎ》リテ船危ク、乃《すなは》チかつど岬ニ還リテソノ付近ノぷろゐんすたんニ難ヲ避ケヌ――今ヤ殖民地ノ位置ヲ選択スルコト何ヨリモ急ニ、探険隊ノ相分レテソノ捜索ニ従事スルコト五週間、或日ノ事数人ヲ載セタルすたんでつしゆノ小艇ハ、じよん・すみすガぷりまうすト命名セシ港ニ入レリ。コレ即チ清教徒ガ新世界上陸ノ基点ニシテ、世界殖民ノ歴史ニ異彩ヲ放テルぷりまうすノ事業モまた茲《ここ》ニ始ル」
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 駒井甚三郎は直参失脚の後に於て、その爵位財産の一切を返還してしまったが、蔵書だけは、ほとんどその全部をこの船に搬入して来ています。それは、この人にとっては、食物以上の食物であるから、まずこれを蓄蔵しなければならぬと共に、いったん読み去ったものも参考として、常に座右に置くの便利且つ必要なるを感じたからです。且つまた、これは売り払うとしても、処分するとしても、誰も引受け手がない。いや、引受け手は大いにあるにしても、読める人がない。駒井の蔵書を読みこなすほどの人は、今の日本には絶対にないと言ってもよいくらいです。非常な高価と苦心とを以て集め来《きた》った駒井の書物も、これを手放すとなると二束三文である。看貫《かんかん》で紙屑に売られる程度を最後の落ちとしなければならぬ。
 たとえ祖先伝来の爵位と家産を失うとも、この書物を失うには忍びないというのが駒井の愛惜《あいじゃく》でした。そうして、それをこの船まで持込んだことに於ては、今でも悔いてはいないのです。
 かくて、この多くの書物を、それからそれと漁《あさ》り読み行くうちに、今までに全く閑却していた方面に、新たに多くの興味を見出して、一度消化されたはずの書物が、再び燦然《さんぜん》たる希望を以ての新たなる頁を自分に展開してくれるもののように見え出して、書物に対する眼が火のように燃え出してきました。
 この間に得た駒井の知識は、Pilgrim Fathers の物語が中心となりました。その書物の中の一つの挿絵を見ると、遥か彼方《かなた》に一艘《いっそう》の船がある。大きさは駒井の鑑識を以てして百噸内外の帆船に過ぎないが、それが、彼方の沖合に碇泊している。その親船に向って、雑多な人が、小舟に乗込んで岸を離れようとする光景が、一種の写真画となって、その書物のうちにはさまれている。船が手頃の船だし、岸を離れ、国を離れて海洋へ乗り出さんとする刹那が、じっくりと駒井の心をとらえたために、その前後の記事物語を熱心に読み出すことになりました。駒井が多くの蔵書家であり、同時にそれが単なる死蔵書ではなく、充分に読みこなす人であり、読みこなすのみではない、これを実地に活用する稀人《まれびと》であることは、ここに申すまでもないが、駒井その人が、読書というものには裏も表もある、裏と思ったのが、表であって、読みつくし、味わいつくしたと信じて投げ出して置いた書物から、新たに多大なる半面の内容を贏《か》ち得たということは、このたびの著しい経験でありました。
 さて、この船出の写真絵を見ると、諸人《もろびと》が皆、祈っている。日頃、金椎《キンツイ》がするように、小舟の中に行く人も、岸に立って送る人も、みな祈っている。
 彼処《かしこ》にかかっている親船こそ、例の五月号に相違ないのであります。そうしてこれらの諸人は、五月号に乗込んで、まさに海洋に乗り出さんとする人と、これを送るの人であることも争われません。いったい、船というものは、五月号にあれ、無名丸にあれ、今まで駒井の見た眼では、単に一つの構造物だけのものでありました。船の図を見ると、この船は何式で、何|噸《トン》ぐらいで、どの時代、どの国の建造にかかっているかということのみが主となりました。従って、船の航海力にしても、これが石炭を焚《た》いた場合、どのくらい走り、帆をあげてからどの程度走るというような計数ばかり考えさせられていましたが、今晩は船というものが、大きな人格として、脈を打ち、肉をつけ、血を湛《たた》えている存在物のように見え出してきました。
 駒井が読み耽《ふけ》ったこの物語は、前の米国史の頁を、もう少し細かく、温かく、滋味豊かに敷衍《ふえん》してくれたといってもよい物語でありました。

         三十三

 読み且つ解して行くと、駒井の読んでいる物語には、次のような要点がある。
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「コレ等ノ信神渡航者ハ一人モ往復ノ旅券ヲ求ムルモノナシ、彼等ハ他ノ旅客ノ如ク往ケバ必ズ帰リ来ルモノト予定スルコトヲセザルナリ、到リ着クトコロヲ以テ、ソノ骨ヲ埋ムルトコロト為《な》ス。彼等ハ本国いぎりすノ国家ノ強ヒル宗教ヲ信ズルコトヲ肯《がへ》ンゼザルナリ、制度ハ国ノ制度ヲ遵奉《じゆんぽう》セザル可《べ》カラズトイヘドモ、信仰ハ自由也、国家ヨリ賦課セラルベキモノニアラズ。
然《しか》ルニ、コノ信念ハ外ニ於テハ国家ニ不忠、内ニ於テハ国教ニ不信ナリトノ理由ヲ以テ、彼等ハ自国ニ住ムコトヲ極度ニ圧迫セラレタルヲ以テ、故国ヲ逃レテ和蘭《オランダ》ノ地ニ来リ、更ニ北米ノ天地ヲ求メタルモノナリ。彼等ノ欲スルトコロハ領土ニアラズ、物資ニアラズ、己《おの》レノ良心ト信仰トノ活路ヲ見出サンガタメニ新天地ニ出デタルモノ也。
閤竜《コロンブス》ノ求ムルトコロハ領土ナリキ。黄金ナリキ。サレバ、彼ニ従フトコロノモノモ、屈強ナル壮年男子ニ限リタレドモ、コノ信神渡航者ノ一行ニハ、オヨソ信仰ヲ共ニスル限リ、老幼男女ノアラユルモノヲ抱容スルコトヲ許サレタリ。コノ図ヲ見ヨ、彼等ノ一人モ、祈ラザルハナク、彼等ノ半個モ、武装シタルハナシ。彼等ハ皆、祈ルコトヲ知リタレドモ、祈ルコトヲ職業トスルモノハ一人モコレ有ラザリキ。即チ、コノ信神渡航者一行百二名ノウチニハ、僧侶ト名ノルモノ一人モコレ有ラザリキ。蓋《けだ》シ、僧侶ハ祈祷ヲ商ヒ、権力ニ媚《こ》ブルコトヲ職トスル階級ニシテ、彼等ノ信仰自由ニ同情ヲ持ツコトヲ知ラズ、コレヲ圧迫スルヲノミ職トスルモノナリケレバナラン。軍人ノ経歴アルモノハ、只一人ノミコレ有リキ。
コレニ反シテ、閤竜《コロンブス》ヲ先頭トスルすぺいん流ノ渡航者ハ、僧侶ト軍人ヲ以テホトンド全部ヲ占メヰタルガ、コノ信神渡航者ニハ、僧侶ナク、軍人ナシ。而《しか》シテ猶《な》ホ、コノ信神渡航者ノ一行ニハ、一人ノ貴族モナク、イハユル英雄モ豪傑モ、一人モ有ルコトナシ。
彼等ハ皆、小農夫、或ハ小商人ニ過ギザリキ。
然《しか》レドモ、コレ等ノ小農夫及小商人ハ、皆天ヲ敬シ、人ヲ愛スルコトヲ知ルモノナリキ。彼等ハ教育アリ、訓練アリ、特ニ自治ノ能力ニ於テハ優レタル天分素質ヲ有セルモノナリキ。
カクテ西航六十有余日。
信神渡航者ガぷりもすニ到リ着セル時ハ、北米ノ天ハ寒威猛烈ナル極月ノ、シカモ三十日ナリキ。彼等ノ胸臆ハ火ノ如ク燃エシカド、周囲ノ天地ハ満目荒涼タル未開ノ厳冬也。シカモコノ寒キ天地ノ中ニ、掘立小屋ヲ作リテ、辛ウジテ彼等ノ肉体ヲ入レテ、
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