《うけひ》くまいし、そうかといって、父伊太夫が、小町庵の娘をたずねるのも順序が間違っている。関守氏とお角さんとが談合の上、幸い、物静かなこの逢坂山の大谷風呂の奥の間が、親子会見の席にふさわしかろうと、そういう取計らいで、会見の場がここときまったものらしい。
 それで、一通りの役者はここへ揃《そろ》ったわけなのですが、かんじんの女王様が見えた様子がないけれど、これも案ずるほどのことはあるまい、すでに御納得があって、胆吹山からここまで動座をされているくらいだから、ここらで異変の起る憂えはない。まず伊太夫を座に招いて置いて、しかるべきバツを合わせて、お銀様をここへ迎える、これは多分、明日のことになるだろうと思います。
 その間は、関守氏と、お角さんとが、まずまあ腕比べまたは舞台廻しというようなわけで、二人は夜の更くるも知らず、何かひそひそと話し合っておりましたが、伊太夫主従は、着早々、一風呂浴びると共に寝《しん》に就いてしまいました。
 それにも拘らず、関守氏の座敷ではまだ燈火《あかり》がして、お角さんが、寝ようとも休もうとも言わない、やっぱり、ひそひそと話し合っている様子でしたが、
「では」
と言って、お角さんが立ち上って、その隣の間の薄暗い座敷を怖る怖るあけた隙間《すきま》から見ると、その隣の間の正座に、意外にも覆面の人が一人、端坐していました。
 正面の覆面の客というのは、まごう方なきお銀様でありました。してみると問題のお銀様はいつのまにか、ここに安着していたのです。父に先んじて来たか、後《おく》れたか、いずれにしても、ここに安坐して二人の謀議を聞いている。事がここまで運んだ以上は、絶えて久しい父子の対面は無事に実現するにきまっているが、問題は、会見そのことよりは、会見して以後にあるのです。
 これからが関守氏とお角さんの、本当の腕の見せどころと言わなければなりません。

         二十三

 女王と総理とが出動した後の胆吹王国に、留守師団長をつとめたところの人は、前に申す通り青嵐居士《せいらんこじ》でありました。
 この人は、不破の関守氏とは話は合うが、その性格に至って大いに相違した点があると見なければなりません。
 すなわち、不破の関守氏は、一種の詩人でもあり、空想家でもあり、また相当の野心家でもあり、策士でもあるのですが、青嵐居士に至っては、もっとずっと着実家なのであります。
 釣に隠れているところを見ると、一個の風流人でもあり、ひとかどの曲者が世に韜晦《とうかい》しているようでもあるけれども、事実、この人は風流によって釣をしているのではない、好きだから釣に出るまでで、それに浪人をしていると暇が自由に取れるから、自然、好きな釣の道に出遊する機会が多いというだけのものです。ことに湖辺に住むと、地理に於て最も釣に恵まれているという条件もあります。かつまた、非常に話好きではあるけれども、その語るところをよく聞いていると、不破の関守氏のように空想的にあらずして、民生そのものに密接した点がある。野心家、或いは策士としての性格を多分に持ち合わせている不破の関守氏と比べると、一方は釣して網せず、一方は網して釣せずの性格の相違があるのであります。今、胆吹王国の留守師団長を引受けたからといって、創造者連の理想や野心に共鳴して然《しか》るのではなく、最近ちかづきになったよしみで、頼まれてみると、自分も相当の興味を以て、快く当分の留守を引受けてみたまでです。
 着任すると匆々《そうそう》、この人はまず胆吹王国の全体の人を見渡しました。
 規模と目的はすでに前人によって定められてあるのですから、それをいまさら検討して、革新の、改善のということは自分の権内ではない。その辺には少しも触れないで、現状を最もよく管理することが自分の任務だと思いました。
 そこで、自分として主力を置くべきものは、領土でなく、経営でなく、専《もっぱ》ら人事であるとの見地から、この王国に集まるところの人間の研究から取りかかりました。研究はどうしても科学的でなければならぬ、ローマン的であってはいけないという出立から、まずこの王国に現在集まっているところの人種を、次のように大別してみました。
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甲種―胆吹王国の主義理想に共鳴して、これと終始を共にせんとする真剣の同志
乙種―現在は、まだ充分の理解者とは言い難いが、やがてその可能性ある、いわば準同志
丙種―主義理想には無頓着、ただ開墾労働者として日給をもらって働いている人
丁種―食い詰めて、ころがり込んで、働かせられている人
戊種《ぼしゅ》―好奇で腰をかけている人
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 だいたい、この五種に分けてみました。頭数はすべてで約五十名ある。それをこの五つの中に部分けをして編入を試みようと、しきりにその性格や、労働の研究を進めておりました。
 そうしてみると、甲種と乙種に編入すべき人種の極めて少ないこと、全部でどうしても十名以上を数えることはできない。丙種、すなわち日給をもらってただ単に働く人は二十人以上あって、これは比較的最も多数だが、最も無色なのもこのやからであることを知りました。すなわち、近在の百姓連が、農事の暇を見ては賃銭稼ぎに来るだけのもので、なんらの熱情はないが、平明忠実によく働くことは働きます。
 丁種、すなわち食詰め者に至っては、頭数に於て右の丙種に次ぐものであって、十数名はたしかにいるが、これが最も王国民の中の難物だと思いました。監督している間は働きぶりを見せるけれども、眼が離れると、油を売り、蔭口を叩くのはこの連中であって、これを見のがしていると、その風が、他の人種に伝染するおそれがあることを青嵐居士が見てとって、どうしても監督の中心は、この丁種へ置かなければならないことに着眼しました。
 戊種に至っては、これは十名足らずの最も僅少な人数に過ぎないし、若年者が多く、本来は無邪気で、好意で参加しているだけに、教育すれば大いに収穫ともなるが、失望すると翻すやからである。その流動性を誘導して、本物に鍛錬してやることが任務だと青嵐居士が見て取りました。
 だいたい、胆吹王国に身を寄せる人種は右のような人別《にんべつ》になりますけれども、右の人別のいずれへも入らない存在を、炯眼《けいがん》なる青嵐居士が早くも見て取りました。たいていは以上の五種類の中へ編入してできないという人種はないが、ただ二人だけ、どうも青嵐居士の頭をひねった人種が存在するのです。青嵐居士は早くも、この二人はスパイだなと見て取ってしまいました。
 スパイというのは、つまり、このところに変てこな団体が巣を食いはじめた、表面は開墾だが、何か特別の危険思想なり、行動なりの卵ではないか、或いはまた大本教や、ひとのみちの二の舞ではない――一の舞ではないかというような懸念から、藤沼正兵衛あたりによってさし廻された偵察者である。それが同志、或いは労働者をよそおって、この王国中へ潜入しているのが、たしかに二人はあると睨《にら》んだのが、さすがに青嵐居士の炯眼です。不破の関守氏は、そういう科学的分析も、人種的検討もしませんでした。
 もとより当初は、来《きた》る者拒まず、という解放主義でなければ人が集まらないという理由の下に、人を入れに入れたものですから、そういう検討をする遑《いとま》がなかった。雑多な人が来て、雑多な性格をぶちまけることを、大まかに容認していたのですから、不破の関守氏は大体をおさめるに急で、個々の分析には及ばなかったのも道理です。
 さて、そういうふうに青嵐居士は、胆吹王国の人種を分類してみましたけれども、その分類によって、処分に手をつけようというのではないのです。それはそのまま単に研究とし、参考の資料として扱いながら、その範囲に於て監督もし、働かせもしているのです。
 そうしてこれらの人種に対して、淡々として一視同仁に眼をかけるものだから、特にこの人を崇拝するという信者も出ない代り、不服や反抗の色を現わすものは一人もありませんでした。
 かくて青嵐居士は、毎朝毎日、王国内を巡視しては、極めて心やすく国民に向って呼びかける、評判はなかなか悪くないのです。

         二十四

 ある日、青嵐居士が、炭焼の釜出し勤務を見廻っていると、一人の青年がたいへん丁寧に挨拶をする途端に、ふところから転がり出して地上に落ちたものがありました。
「何か落ちたぜ、君」
 青嵐居士から注意を受けて、
「はい、どうも済みません」
 この青年は、あわただしく、落ちたものを拾い取って、またふところへ捻《ね》じ込んで仕事にかかるのを、青嵐居士が見のがさず、
「そりゃ、何の本だい、君」
と言ってたずねますと、
「いいえ、なあに、何でもありません」
「見せ給え」
 そう言われて青年も、拒むわけにはゆかないで、いったんふところへ捻じ込んだ小冊子を、また取り出して、青嵐居士の前へ提出しました。
「ははあ、君は蘭学をやってるんだな、感心だね」
「相済みません」
と言って、青年が頭を掻《か》きました。蘭学をやることが別に相済まぬことになるはずはないが、これはこの青年の口癖でしょう。青嵐居士は、それ以上にはなんらの追究することもなく、右の冊子を青年のふところに押戻してやりながら、
「今晩、話しに来給え、上平館の時習室へ話しに来給え」
と言い捨てて、次の職場の方に巡視にまわりました。
 この青年は、かねて青嵐居士が分類に於て、戊種の方へ編入して置いた一人でありました。戊種というのは、つまり、好奇でここへ参加して来ている人種をいうのです。好奇性もあり、煩悶性《はんもんせい》もあって、一燈園なり、大本教へなりへ走って行ってみる、そこで教育もされたり、失望もしたりして帰って来る、一種の流行性を帯びた人種である。居つけば一躍して甲種へ昇格するが、水に合わないと早速飛び出して、悪評を世間にふり蒔《ま》いて歩きがちなのがこの人種である。
 その晩になると、果して、この青年が青嵐居士の許《もと》へ話しに来ました。彼は、特に師団長のお目に留まったことを光栄ともし、よろこびともして、晩飯が済むと逸早《いちはや》く押しかけて来たものです。
「君は蘭学をやっているのかね」
 昼のつづきで、青嵐居士が会話のきっかけを作って青年に与えると、青年は、
「いや、あれは蘭学ではないのです、英学なんです。蘭学はもう古い、将来は英学をやらなければならないと言われたものですから……」
と申しわけをしました。
「そうか、英学だったかね、見せ給え、もう一ぺん、あの本を」
 青嵐居士が、青年のふところを見込んでこう言いますと、青年が、
「これでございますか」
 またしても、青年はふところから、日中ころがり出たところの部厚な小冊子を再び取り出して、青嵐居士の前へ提出しました。
 してみると、この青年は、昼夜離さず、右の小冊子をふところにしているらしい。青嵐居士もそう気取《けど》ったから、そこで、再提出を求めたものに相違ない。つまり、蘭学か、英学か、そこまでは見究めなかったけれども、たしかに外国語の辞書であることは、青嵐居士が最初から認めたところのものでありました。
 辞書というものは、語学生はふところから放さないものである。今晩、来訪して来たのを見た時も、この青年のふところがふくらんでいることに於て、青嵐居士は早くも、この青年が辞書をふところにして来ているなと見て取ったものですから、この提出を求めたのです。
 青嵐居士は果して外国語の素養があるかどうかは知らないが、青年の提出した冊子を受取って、一応調べてみました。辞書といったところで、当時スタンダードもコンサイスも有るべきはずはない、有るべきはずがあったにしたところが、この青年などの手に渡るべき品ではない、そこで、青嵐居士が取り上げた辞書も、筆記物の辞書でありました。誰か、しかるべき人が所持している日本に数冊という極めて貴重の外国本の、又写しの又写しの、そのまた又写しの何代かの孫に当るべき薄葉《うすよう》の肉筆写本を、こ
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