よ」
「御冗談を……手なんぞは長いにもなんにも有りませんよ、とうの昔にブチ切られちまったんですから」
「でも、胴巻を見ると長くなる」
「旦那、皮肉をおっしゃっちゃいけません」
「それから、女を見るとまた長くなる」
「旦那、そう、いつまでもいじめるもんじゃございませんよ、全く、旦那にかかっちゃ、手も足も出ねえ」
「それはそうと、がん[#「がん」に傍点]公、お前の手の長い方はもう御免だが、足の速い方を見込んで一つ頼みがあるんだが」
「水臭いことをおっしゃっちゃいけません、頼みがあるのなんの、こうなってみりゃ、主従の間柄じゃございませんか、旦那がやれとおっしゃれば、火水の中へでも飛び込んでお目にかけますよ」
とがんりき[#「がんりき」に傍点]の百が、相変らず人を食った面で答えました。返事をしながらも、その一本の腕をもって、不破の関守氏の背中を流すことは器用を極めている。
「そう言ってくれるのが頼もしい、では、一つ命令を下すぞよ。但し、ここでは下せないから、風呂から上って、ゆっくり下すから、ひとつ、この命令によって、お前、その足に馬力をかけてやってみてくれ」
「合点《がってん》でございます、がん[#「がん」に傍点]ちゃんの足を見込んでお頼みとありゃ、後へは引きません」
「よし、では上ろう、御苦労御苦労」
 かくてこの主従は風呂から上って、自分の部屋へ帰りました。
 不破の関守氏は、部屋へどっかと安坐すると、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵を前に坐らせて、自分は床の間から行李《こうり》を引寄せながら、
「時にがんりき[#「がんりき」に傍点]――」
 どうも、呼び名がまちまちで困る。がん[#「がん」に傍点]ちゃんと和《やわ》らげてみたり、がん[#「がん」に傍点]公と角《かど》ばったり、またがんりき[#「がんりき」に傍点]と本格に呼びかけたりするので、かなりめまぐろしいが、
「旦那、御用向のほどを承りましょう」
 しかるに、がんりき[#「がんりき」に傍点]の方の尊称は旦那で統制されている。この男が、関守氏を先生とも呼ばず、親分とも言わず、旦那で立てていることが、かえって空々しいくらいのものだが、この際、この人柄では、旦那呼ばわりが、まず適当というところであろう。そこで関守氏も旦那らしく砕けて、
「実は、がん[#「がん」に傍点]ちゃん、君にひとつ、湖水めぐりをやってもらいたいのだ」
「湖水めぐりですか、洒落《しゃれ》てますね、どうも、がん[#「がん」に傍点]ちゃん儀、めまぐろしい旅ばかりやりつけているものですから、つい八景めぐりなんぞというゆとりがございませんでした、それを旦那が目をかけて、がんりき[#「がんりき」に傍点]を遊ばせて下さる寸法なんですか、有難い仕合せ、持つべきものは親分でございますよ」
「そんな暢気《のんき》な話ではない、君もこのごろの、湖上湖辺の物騒さ加減を知っているだろう」
「百姓一揆《ひゃくしょういっき》とか、検地騒動とかで、えらく騒いでいるようすじゃございませんか」
「だいぶ民衆が騒いで、一帯に不穏を極めているが、ひとつその空気の中をその足で突破してみてもらいたいんだ」
「トッパヒヒヤロでござんすか、この騒ぎの中で、何か踊りをおどれとおっしゃるんでございますか」
「いや、あの中を突破して、向う岸の胆吹山まで行ってもらえばいいのだ、今、絵図面を見せるから」
と言って、不破の関守氏は行李の中から一枚の滋賀県地図――ではない、近江一国の絵図面を取り出してひろげ、それをがんりき[#「がんりき」に傍点]の眼の前に置いて見せました。
「それ、これを見な、ここが逢坂山の大谷で、ここが大津だ、大津から粟津、瀬田の唐橋《からはし》を渡って草津、守山、野洲《やす》、近江八幡から安土、能登川、彦根、磨針《すりはり》峠を越えて、番場、醒《さめ》ヶ井《い》、柏原――それから左へ、海道筋をそれて見上げたところの、そらこの大きな山が胆吹山だ、つまり、これからこれまでの間を、お前に突破してみてもらいたいんだ」
「そう致しますと、つまりこの逢坂山から出立して、湖水の南の岸をめぐって、胆吹山まで歩いてみろ、とおっしゃるんでございますな」
「そうだ」
 不破の関守氏は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵に向って胆吹マラソンのコースをまず説明して置いて、それから使命の内容をおもむろに次の如く述べました。
「いいか、君のその早足で、この間を突き抜けて通りさえすればいいようなものだが、通りがけに、できるだけ沿岸の観察をしてもらいたい。観察といっても風景や人情を見ろというのではない、昨今の民衆の暴動がドノ程度までに立至っているか、百姓一揆共が、ドノ方面に向って行動し、ドノ方向に向って合流しているか、また主力はドノ地点に根拠を置いて群がっているか、その辺を見届けられる限り見届けて、深入りをする必要はないぞ、通りいっぺんでよろしいからそれを偵察しながら胆吹山まで行ってもらうのだ。その他、何に限らず、途中で眼の届く限りは見届けるがよろしい、たとえば、一揆《いっき》の首を振っているのはどんな人物で、役人たちが一揆の食止めの手配、そんなこともわかればわかるだけ見て置いて、そうして胆吹山まで、なるべく早く到着してもらいたい。見るには、いくら細かに見てもいいが、深入りは断じていけない」
「合点でございます、つっ走るだけの御用なら、当時、がん[#「がん」に傍点]ちゃんに限りますよ」
と、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、いささか鼻を白《しら》ませてせせら笑いました。
 字を書けの、歌を詠《よ》めのと言われては、がん[#「がん」に傍点]ちゃんもいささか凹《へこ》むだろうが、歩けと言われる分には本職です。それを特に鼻にかけてせせら笑ったのは、せっかくがん[#「がん」に傍点]ちゃんを見立てた御用としてはおやすきに過ぐると軽蔑したわけではないので、実はこの使命の中には、相当危険状態が含まれていることを、がんりき[#「がんりき」に傍点]はいささか予想したものですから、それで、われと我が身をせせら笑ってみたもので、不破の関守氏にはどうもその内容がよくわからないから、
「何事にせよ、事を侮《あなど》ってかかってはいかん、この時節だから用心はドコまでも用心をして……」
 関守氏から本格的に戒められて、がんりき[#「がんりき」に傍点]がまたテレました。がんりき[#「がんりき」に傍点]がたった今、危険状態を予想してせせら笑ったというのは、それは、自分が兇状持ちだという思い入れがあったからです。しかし、この野郎の兇状持ちは今に始まったことでない、海道という海道を食い詰めている金箔附きなので、いまさら、無宿を鼻にかけてみたってはじまらないのであるが、ごく最近に於て、このコースで生新しい負傷をしている、指のことは問題外としても、草津の宿で、轟《とどろき》の源松《げんまつ》という腕利《うでき》きの岡っ引に少々|胆《きも》を冷やされているところがある。お角さんの厠《かわや》まで逃げ込み、なおまた大谷風呂の風呂番にまで窮命させられているのは、つまりその祟《たた》りである。そのことを思い出してみると、自分ながらくすぐったいから、それで、おのずから鼻が白まざるを得ない。これから再び取って返して、あのコースを行くのは、轟の源松の縄張中へ、わざわざ、からかいに出直すようなものであってみると、「なあに、タカの知れた田舎岡っ引に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の年貢を納めるにゃ、まだちっとばかり早えやい」というつまらない鼻っぱりが出て、それでいささかむず痒《がゆ》くなって、せせら笑ってみたまでのことです。
 そんなことを知らない不破の関守氏から、まともに戒められて、がんりき[#「がんりき」に傍点]が、
「時に旦那、御注意万端ありがたいことでござんすが、突走れ、突走れとばかりおっしゃって、かんじん[#「かんじん」に傍点]の御用向のほどが、まだ承ってございませんでしたね。いったい、胆吹山へ行って、誰に会って何をするんでござんすか、ただ湖岸《うみぎし》を突走って、胆吹山へ行きつきばったりに、艾《もぐさ》でも取ってけえりゃいいんでござんすか」
「そこだ」
と不破の関守氏が少しはずんで、
「いいか、胆吹山へ着いたら上平館《かみひらやかた》というのをたずねて行くんだ、そこに青嵐《あおあらし》という親分がいる」
「ははあ――青嵐、山嵐じゃないんですね」
「よけいなことを言うな。青嵐と言えばわかる、その青嵐という親分にお目にかかって、この手紙を渡すのだ、委細はこれに書いてある、そうして、その親分に向って、君が途中見聞したことの一切を報告するんだ、いま言ったような百姓一揆の動静だの、役人方の鎮圧ぶりだの、見たままの人気をすっかり青嵐親分に話して聞かせろ、つまり、それだけの役目なのだ」
「わかりました、よくわかりました」
「わかった以上は、事はなるべく急なるを要するから、これから直ぐに出立してもらいたい」
「合点でござんす」
「さあ、これを持って行き給え、己《おの》れに出で、己れに帰るというやつだ」
と言って、不破の関守氏は、因縁つきの胴巻を引きずり出して、そっくりがんりき[#「がんりき」に傍点]に授けたものですから、またしてもがんりき[#「がんりき」に傍点]をテレさせてしまいました。
「恐縮でげす」
「それから、旅の装いとしては、拙者のものをそっくり着用して行ったらいいだろう、この脚絆《きゃはん》なんぞも銭屋で新調したばっかりのものだ、ソレ、手甲、それ、わらじがけ、それ、笠の台――ソレ、風呂敷、ソレ、手形、こいつを大切に持って行きな」
 こうして不破の関守氏は、その夜にまぎれて、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵を胆吹山に向って追い立ててしまいました。

         二十二

 がんりき[#「がんりき」に傍点]を追い立てたその翌日、不破の関守氏は、明日、客をするからと言って、大谷風呂の奥の一棟をその用意にかからせたのです。不破の関守氏が肝煎《きもいり》となって、何か相当の客をこの一棟へ招くらしい。しかも、その前準備の忙がしいにかかわらず、たいした団体の客を迎えるというわけではなく、ほんの少数の客で、しかも密談――という申入れなのでありました。
 それでも、奥の一棟を借りきって、しかも、なおさら宿の者をてんてこまいさせたというものは、明日乗込んで来るといったその客が、その晩おそくなって、ここに御入来ということになったからです。
 その晩、お客は到着したに相違ない。けれども、そのお客の何ものであったかということは、誰もほとんど気がついたものはありません。その客にはお供が二三ついて来たけれど、本客というのは、もう相当の年配で、しかるべき大家《たいけ》の大旦那の風格を備えたお人であったということは、女中たちも言うのです。
 問題の、奥の間の床柱に座を占めた招待の客というものを見ると、さまで怪しむべきものではない、これぞお銀様の父、すなわち藤原の伊太夫でありました。附いて来たのは、番頭の藤七たった一人でした。
 だが、ほどなく、これに追いついてやって来た人は、宿の者皆の注意を引かずには置きません――それは、お角さんが至極めかし込んで、上方風の長衣裳で、駕籠《かご》から出て、いささか上気した意気込みで、
「あの、不破の関守さんとおっしゃるお方を訪ねて参りました」
「はい、お待兼ねでいらっしゃいます、どうぞ、こちらへ」
 お角さんは、案内につれて、おめず臆《おく》せず送り込まれたのは、伊太夫の座敷でなく、不破の関守氏の部屋なのでした。
 多分、不破の関守氏とお角さんとは、初対面のはずです。
 すべての事態を総合して見ますと、伊太夫お角さんの一行は、昨日あたり竹生島から帰りついたに相違ない。昨日の外出で、不破の関守氏は本陣をたずねて、伊太夫が立帰ったことをたしかめた上で、改めて来意を述べたものらしい。
 その結果として、お銀様が本陣を訪問するのも人目に立ち過ぎるし、かつまた、本人そのものが容易なところでは承引
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