ると、この小舟の中が狼藉《ろうぜき》を極めておりました。
 ほかの者が見たのでは、何が何やら気ぜわしいばかりです。
 そこで、お角さんが、
「ちぇッ」
と舌打ちをして、眉根に八の字を寄せながら、舟底をちょっと蹴立ててみたというのは、その狼藉ぶりが例の癇にさわったからでありましょう。
 他の者が見ては特に目立たない場合に、ナゼお角さんだけが、その狼藉ぶりに癇を鳴らしたかと見れば、小舟の中が、あまりに見苦しい取散らかしぶりであったからです。
「なんて、たしなみのないザマなんでしょう」
 お角さんは、小舟の中を見て眼をそむけてしまったが、改めて大船の上を見上げる。燈籠《とうろう》の下の座に席をくずさずに坐っている伊太夫も、なんとなく、こちらが気がかりのように見おろしている様子にぶっつかると、そのままにして置いて、
「さあ、上りましょう、これだけのものなんです、でも、船頭さん、この舟を曳《ひ》いて行ってあげてくださいよ――しかるべきところまでねえ」
 狼藉は狼藉としてのままで、一応、引くところまで引いて行って調べてやろう、というお角さんのはらです。
 その声に応じて、提灯片手の取巻連が、一応もとの席に戻りますと、右の小舟は無雑作に曳舟として扱われて、無意味従順にこの親船のあとに引かれて行く。
「何でした、別にあぶないこともなかったですかね」
 伊太夫からたずねられて、お角さんが少し息をはずませ、
「ちょきが一ぱい流れついただけのことなんですがね、御前様、どうも、その中が穏かでないんでございますよ」
「どう、穏かでないのですか」
「なんぼなんでも、ああまで取乱さなくってもよかりそうなもの」
「ははあ、そんなに見苦しくなっていましたかな」
「見苦しいにもなんにも、いったい、心中でもしようという人間には、もう少したしなみ[#「たしなみ」に傍点]というものがなくてはいけませんね」
「心中? 相対死《あいたいじに》ですか」
「そうでございますよ、さっきのあの盃と、帯と、駒下駄の判じ物でもわかりますよね、あの舟で思いきり楽しんで、それから死出の旅という寸法なんでしょう、行き方は洒落《しゃれ》ていないではありませんけれど、ああ取乱したんじゃお話になりません」
「どうして、そういうことがわかります、ほんとうに心中者があったとすれば、このままでは済まされますまい、迷惑千万なことだが、一応、手を尽してやらなきゃあなるまいが」
と伊太夫が、そこに思いやりをはじめました。小舟の中が取乱してあるか、取乱してないかはこの際、論外なことで、お角さんの見込みの通り、程遠からぬ時間の間に、そういう変事をやり出した人間がありとすれば、その分別と、無分別の如何《いかん》は問うところでない、通り合わせたものの人情として、船同士の普通道徳として、一応も二応も、捜索に取りかかることが当面の急でなければならぬ。
 そこで、船には緊急命令が下されて、さし当りこの小舟のもたらした予感通りに、掃海の作業を試むることになる。
 といっても、事は近くで発見されたにしろ、湖《うみ》は広い。霧というものがその広さを、無限大のものにぼかしている。よし広さに限度が出来たとしても、底は深い。ましてこの竹生島の周囲は、深いことに於て、竹生島そのものが金輪際《こんりんざい》から浮き出でているというのだから、始末の悪いこと夥《おびただ》しい。全く手の下しようもないのだが、手の下しようがないからといって、船舶道徳は守らなければならない。
 伊太夫の大船は、停《とどま》り且つ進みつつ、遠近深浅に届くだけの眼と、尽せるだけの力を尽しつつ掃海作業を続けて進みました。
 その間、伊太夫は動ぜぬ座を占めている。お角さんは居たり立ったり、舟夫《せんどう》に指図をしたり、伊太夫に講釈をしたりして、年増女の落着きを失わずに、その周到ぶりを発揮していたが、事が周囲七十余里の湖水を相手だから、そうヤキモキしただけではいけないと、やがて伊太夫の傍に寄添って、次のような観察を物語りはじめました。

         四

「男も男ですが、女も女です、水にでもハマろうとするくらいなら、ハマるだけのたしなみというものがなけりゃなりませんよ。女の締めくくりは帯なんです、その帯を初手《しょて》に流してしまうなんぞは、お話になりません」
 お角さんが、噛んで捨てるように言ってのけたのは、それは伊太夫の知ったことではないが、お角さん自身に、これと異った趣に於て、充分に体験を持っているわけです。この女は上総房州の海に身を投じて、橘姫命《たちばなひめのみこと》の二の舞を演じたことがある。
 その時は、無論、意気の、心中のというような浮いた沙汰《さた》ではなく、いわば凡俗の迷信と多数の横暴に反抗して、身を以て意地を守った気概のために海中に没入したのですが、それが、ゆくりなく洲崎《すのさき》で、駒井能登守の手に救《たす》けられたことがある。あの時、駒井に発見されなければ、無論、今日のお角さんは有り得ないのです。その時の体験からお角さんが語り出でました。その啖呵《たんか》の要領によると――
 女というものは、水に溺れようとする瞬間に、何事よりも締めくくるべきは帯です、帯をしっかり結ぶことです。帯というものは無論、表の胴体を締めているこの無双や、鯨というだけには止まらない、下帯から、下締から、丸帯の一切、女の身体《からだ》を横に防衛し、同時に装飾を兼ねているそれらのものをいうのであって、これが締っていなければ、女が女にならない。
 水に没入して、息が有っても無くても、いったん人間の住む水際へ浮き出した瞬間に、それを見つけて騒ぎ立てる野郎共の大多数は、女を人間として見ないで、女として見るんですからね、したがって、女は死んだ後までもが、女としての体面を保護して置かなければならない、もし男性として品性の高い、教養の深い人が、それを発見した場合は、真先にその辺を保護して置いてから、改めて人に報告するようにしてやるのが紳士の礼儀である。
 それに、どうでしょう、あの舟の女は、最も保護すべきものを真先に投げ出している、帯を取ってしまったお土左《どざ》などは、おそらく人間艶消しの頂上でしょう。
 子供なんですよ、からっきし子供なんだから、その辺のたしなみを知らない、そこらへポカリ浮き上ってでも来ようものなら、見てごらんなさい、見られたザマじゃない――とお角さんが、あざけり足らない。
 そうでないとしたら、察するところ、意地で見せつけという寸法なんでしょうよ、思いきってだらしのないところを、誰かに見せつけてやろう――たとえばねえ、生きていては仕返しができないから、せめて、死んだ死骸に、思いきり自分で自分に恥を掻《か》かせて、相手の恥に面負けをさせる、つまり、面あてをする、当てつけをして自ら慰めるというやつなんです。いやで添わされた亭主持ち、金で辱《はずか》しめられた女の仕返し、そんな事も有り得ることなんですが、あの舟のは、そんなんでもないようです。娘ですね、無茶な小娘で、死ぬのを伊達《だて》にしているというような行き方です、つまり浮気娘が出来心で、思いきり死んでみてやれ……といった気分に過ぎませんねえ。
 そんな、ませた小娘は、よく大物をくわえたがるものです、石部《いしべ》の宿《やど》のお半さんがいい見せしめです、長右衛門さんという人は、何をどうといったエラ物でも大物でもなかったようですが、年上なんでしょう。いったいどちらにしても、年上と恋をするというのがこの上もなくマセた人種なんですよ、年上にダマされて担《かつ》がれたというんじゃないですね、年上の奴でないと食い足りない助平が、つまり、女にも男にも強いから起ることなんで、だいたい、女は男よりも幾つか年下という世間のお約束を破らないとたんのうができない、まあいわば色気ちがいに近い方なんですから、年増の女に捲かれる男はかえって図々しいんです、年上の男を相手にする小娘こそ、こまっちゃくれて憎らしいもんです。見ていてごらんなさい、この娘っ子のくわえて来たのは相当大物ですからね。大物でなければ、キッと年上の男なんですよ。ことによると、白髪《しらが》まじりの重役なんぞをくわえて来ているかも知れません、そんなのが好きな娘なんですよ、相当大物をつかまえて来て、むりやりに水の中へ引張りこんだんですね。
 ええ、女が働きかけたんですとも。分別盛りの男が、自分から、小娘を相手に心中なんかする気になるものですか、みんな女が知恵をつけるんです、女が誘惑してそうさせるのです。長右衛門だって、長右衛門がお半を口説《くど》いたと思うは大間違い、お半の方で、長右衛門さんに持ちかけてああなったんです、お半の方が、長右衛門に惚《ほ》れきっていたんですよ。
 好者《すきもの》となってみると、お雛様《ひなさま》の飯事《ままごと》のようなことばっかりしていたんでは納まらない、そういう図々しいことをしてみたがるんです。それでお半はお半としてわかっているが、相手の長右衛門という奴の面《かお》が見てやりたい、やいの、やいのと、小娘から首っ玉へかじりつかれて、いい気になって水の中へ引っぱり込まれたおめでたい野郎の面が見てやりたいもんですね――
 お角は、伊太夫に向って、この心中から身投げの一伍一什《いちぶしじゅう》を見て来たように話がはずんで、ひとり昂奮の程度にまで上るのは不思議なくらいでしたが、それにつり込まれでもしたように、座持の一人の取巻――伊太夫に光悦屋敷を買え買えとたいこを叩いていた取巻の一人が、膝を乗出して、おあと交代と差出ました。

         五

「いや、御尤《ごもっと》もでございますよ、太夫元さま、そのお見立ては、さすがに勘所《かんどころ》でございます、実は、わたくしも先年、まざまざと心中者の最期を見届けた覚えがございますんで、いま思い出しても変な気分になりますが、それは、いま太夫元さんのお話とは違いまして、年頃寝頃という頃合いの女夫仲《めおとなか》でござんしてな、ところはやはり大津の浜辺、御存じの吾嬬川《あづまがわ》の石場の浜へ打上げられたのが、しっかりと抱き合った美しい年頃の心中者」
 こう語り出でたのが、幾分か今までの凄味を消して、なんとなく艶《つや》っぽいような、物の哀れを添えることになりました。
「へえ、お前さんも、その心中者を実見したんだね」
「へへ、たしかにこの眼で、まざまざと見せつけられてしまいましたが、ただいま太夫元さんのおっしゃる通り、最初に見つけたのが、たしなみのある人でよかったんです、もう少し事が遅かろうものなら、仲仕の人足たちに見られてしまうところでした。そいつらがドヤドヤと来て、見せろ見せろと言って、死体へ押迫って、いきなり天秤棒で女の裾《すそ》をまくり出しましたから、わたしたちが驚いて差留めたのです。蔵屋敷の衆がまず見つけたからいいようなものの、あの稼《かせ》ぎ屋連に最初見つかった日にゃ、今おっしゃる女の体面のみじめさが思いやられますでな、つくづく太夫元のお言葉が思い当りました。男も勿論そうですが、女子《おなご》というものは、心中の一つもしてみようという女子は、その何をさし置いても帯を大切にすることですね。あとで聞きますと、あの時の女子さんも、その辺には充分のたしなみがありまして、もし、そんなふうに死骸に加えられる狼藉がありましても、立派に保護の用意が出来ていたと聞きましたから、ひとごとでないように安心を致して見ました。いや、思い出しますよ、あの時の男女は惜しい花ざかりでした。聞いてみると、思い詰った事情も、色恋ばかりではないのだそうで、男は京都の者、女は伊勢の亀山――いいなずけ同士の親類仲とかいうことでございました」
 取巻が、別に心中物語をはじめたので、お角さんが楔《くさび》を入れて、
「死にたいものを死ぬなとは言わないが、死ぬんなら死恥をさらさないようにして死なせたい、およそ、心中の死にぞこないぐらい、みじめなものはありませんからね」
「ところが、その時の心中が、あとで聞きますと、その死にぞ
前へ 次へ
全36ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング