良斎がよく知っています、我々無関門の鑑賞者は、まずその歌の持った無限に大きな音階と、姿勢に打たれるだけでよろしい、和歌といえども、大きなものになると、誦《しょう》すべくして解すべからずでよろしい。たとえば、他に人麿の歌にしてからがです、
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ともし火の
明石大門《あかしおほと》に
入らむ日や――
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吟じてごらんなさい、声は千年の深韻を以て響き、調べは千古の心に微妙に沁《し》み渡るです。拙者はこれがまた大好きな歌の一つでしてね、これを吟ずると陶酔するです。ところが、この歌の全体の解釈に至ってみると、人麿が西海から帰る時の歌だか、西国へ向って出て行く時の歌だか、その帰趨《きすう》が甚《はなは》だ不明瞭を極めてくるという次第ですが、そういう解釈の如何《いかん》にかかわらず、その想に驚き、調べに酔わされることは渾心的《こんしんてき》です」
お銀様を前にして、こういう歌物語をはじめている。広長舌は必ずしも弁信法師の専売ではない、ということはわかるのですが、いったい今時、船をこんなにまで急がせながら、乗り手ときてはこの通りの悠長さ、それに第一、女性の
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