八

 湖面が再び白殺《はくさつ》されて、夜が明けたのか、月が出戻ったのかわからないような気分のうちに、大船も、早手も、みんな隠れてしまっている。その中から、不破の関守氏のいい心持になった懐古の饒舌が続いている、
「いい歌です、ともかく大湖の面《おもて》に船がかりして、ああして安定しているあの大船を見ると、まずこの歌が心頭に上って来ます、単にいい歌とか悪いとかいう批評を超絶した歌です、大きな鳴動であり、大きな姿勢ではありませんか、古今無双です、まさに天地の間《かん》に並び立つものがありませんな」
 関守氏が自己陶酔的に感歎している。その傍らから、お銀様の傲然たる声音《こわね》で、
「それは、かとりの海――この琵琶湖のことじゃありません、琵琶湖は大きいのなんのと言っても、涯《かぎ》りの知れた湖です、かとりは海ですからね」
「なるほど……そうおっしゃられると、拙者もそこに、かねがねの疑問を持っていたのです、お言葉通り、かとりの海と人麿《ひとまろ》は詠みました、かとりといえば、たれしもが当然、下総《しもうさ》常陸《ひたち》の香取《かとり》鹿島《かしま》を聯想いたします、はるばると夷
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