け、二尺九寸五分あった、おれが差料にした。
それから、碓氷峠《うすいとうげ》で小諸の家老の若い者らが休息所へ来て無礼をしたから、塩沢円蔵という手代とおれと、その野郎をとらえて、向うの家老の駕籠《かご》へぶつけてやった。
上州の安中でも、所の剣術遣いだと言ったが、常蔵という中間《ちゅうげん》の足を、白鞘《しらざや》を抜いてふいにきりかかったから、その時も、おれと二人で打ちのめして縛ってやった。宿役人に引渡して聞いたら酒乱だと言った。
十一月初めに江戸へ帰った。それからまたまた他流へ歩きまわったが、本所の割下水《わりげすい》に近藤弥之助という剣術の師匠がいたが、それが内弟子に小林隼太という奴があったが、大のあばれ者で本所ではみんながこわがった。或る時、小林が知恵を借って、津軽の家中に小野兼吉というあばれ者がおれのところへ他流を言い込んだ。
その時はうちにいた故、呼び入れて兼吉に逢ったが、中西忠兵衛が弟子で、そのはなしをしていると、兼めが大そうなことばかりぬかし、手前の刀を見せて、長いのを高慢に言いおるから、聞いていたら、十万石のうちにてこのくらいの刀をさすものがない、私ばかりだと言うから
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