たが憎いから、帰りにはおれが玄関の名前の札を抜打ちにして持って帰った。それから方々へ行きあばれた。馬喰町の山口宗馬がところへ、神尾、深津、高浜、おれ四人で行って試合を言いこんだら、上へ通して、宗馬が高慢をぬかした故、試合をしようと言ったら、今晩は御免下され、重ねて来いと言った故、帰りがけに入口ののれん[#「のれん」に傍点]を高浜が刀で切裂いて、室へ抛《ほう》りこんで帰った。それから同流の下谷あたり、浅草本所ともに他流試合をするものは、みんなおれがさしずを受けたから、二尺九寸の刀をさして先生づらをしていたが、だんだんと井上伝兵衛先生が、その頃は門人多く、重立った奴等、皆おれが配下同然になり、藤川鴨八郎門人赤石郡司兵衛が弟子団野は言うに及ばず切従い、諸方へ他流に行ったが、運よく皆よかった。他流は中興まずおれがはじめだ。
十八の歳、また信州へ行った。
それからけん見[#「けん見」に傍点]に諸所へ行った。そのうち、江戸でおふくろが死んだと知らせて来たから、御用を仕舞って、江戸へ来る道で、信州の追分で、夕方、五分月代《ごぶさかやき》の野郎が、馬方の蔭にはいって下にいたが、兄貴が見つけておれに
前へ
次へ
全356ページ中328ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング