もあるし、女の子は幾つ幾つになったら、何を学べ彼《か》を習えと、たんねんに教えてみたり、そうかと思えば、序文は一つの懺悔になっていて、その結びが、
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「子々孫々ともかたくおれがいうことを用ゆべし先にもいう通りなれば之《これ》までもなんにも文字のむずかしい事は読めぬからここにかくにもかなのちがいも多くあるからよくよく考えてよむべし天保十四年寅年の初冬於鶯谷庵かきつづりぬ
[#地から6字上げ]左衛門太郎入道
[#地から1字上げ]夢酔老」
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         五十四

 さて、それから本文にうつると、冒頭に何か道歌のようなものを二三首、書きつけたばかりで、端的に自叙伝にうつっているから、文章はまずく、文字は間違いだらけだが、率直に人を引きつけるものがある。
 その、まずい文章と、読みがたい文字、句読も段落もない書流しにくぎりくぎりをつけて、神尾はともかくに独流に読みつづけて行きました。
 これはもちろん、夢酔老というなまぐさ隠居の筆として読まないで、不良青年|男谷小吉《おたにこきち》の行状記として読んだ方が面白い、と神尾が思いました。

[#こ
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