つあるのです。
イエス・キリストを信ずることに於て、清澄の茂太郎の揶揄《やゆ》の的となっている金椎少年が、一心に行手の海に向って祈っている。他の者ならば、人の気配を感じて退避すべき場合も、この少年には響かない。駒井もまた、茂太郎の出鱈目《でたらめ》の歌と、金椎の沈黙の祈りとは、この船中の年中行事の一対として、とがめないことになっている。
「祈っているな」
ただそれだけで駒井はまた、行きつ、戻りつ、思索の人に返りました。
三十一
祈りつつある金椎の姿に、一時《いっとき》驚かされた駒井甚三郎は、また本然の瞑想にかえって、ひとり甲板上を行きつ戻りつしました。
知識があればあるほど、考えが複雑になって、最後の決断の鈍るのを、自分ながらどうすることもできません。
こういう時には、天啓ということを、科学者なる駒井甚三郎も考えないということはありません。また卜占《ぼくせん》ということに思い及ばないではありません。何か天のおつげがあって、南へ行けとか、北がよろしいとかの示教があるとしたら妙だろう。また、卜占というものにある程度までの信が持てると、それに着手しないという限
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