ところへ、右の待遇問題が起って来た。近藤らは甘んじて幕府の金箔附きの御用党となる建前である、近藤としては、一土民から直参になり、あわよくば国主大名にも出世し兼ねまじき路が開かれたのだろうが、最初の同志浪人の面目は台なしだと、不平分子がこの機会にいきり出したのも無理のないところがある」
「そうだろう、浪人として集まったものの中には、浪人なることを本懐として、役人たることはいさぎよしとしないものが多々あったはずだ」
「その通り、我等は浪人として勤王攘夷を実行せんために、新撰隊に加盟したのだ、いまさら徳川の禄《ろく》を食《は》んで、その爪牙《そうが》となるわけにはいかぬ、新撰隊そのものが、そういうふうに変化した以上は、我々の隊に留まるべき大義名分は消滅したのだから、脱退して新たなる出処につくことが士の本分である、至急、我々の脱退を認めろ、というのが、これらの者の主張であって、これを右の直参待遇問題を機会にして、彼等が正面から近藤にぶっつかって行ったのだ」
「それを素直に聞くようなら、近藤も近藤でないし、新撰組も事実上の消滅だ。してその成行きはどうなった」
「右の十名のものは、右の意見を発表すると共に、袖をつらねて高台寺の伊東のところへ走ったが、それをそのまま受入れたのでは、高台寺組と新撰組が正面衝突になる、いや、高台寺組が新撰組へ公然宣戦布告ということになるから、さすがに伊東もそれは受入れない――投じて来た十名の者を諭《さと》して、諸君がそういう意志なら、僕のところへかけ込んで来るよりは、会津侯へ行ったらよかろう、何と言っても新撰組は会津が監督していることになるのだ、会津侯に向って、大義名分の理由により進退を決めるということを公明正大に申し述べて、立派に分離の手続を取るのがよろしい――こういうように伊東から諭されたので、それに従って会津侯へ請願書を出したが、会津でも扱いきれない。本来、新撰組は会津の監督とはいうものの、会津といえども、譜代といえども、新撰組に対しては監督というも名ばかりで、一目も二目も置いている、今の新撰組は厳然たる一大諸侯以上の存在である。そこで右の請願書を受取った会津の公用人は困ってしまって、これは当方の独断では取計らい兼ねるによって、一応近藤の方へも照会して、追って返事をするという挨拶であった――」
「そうだろうとも。会津といえども、宗家といえども、新撰組は扱いきれない、譜代なら譜代のように、大藩といえども処分のしようはあるけれども、新撰組は本来、骨からの浪人だ」
「そこで、会津から改めて近藤の方に旨を通ずると、近藤の返事がこうだ、さようなお取上げは一切御無用に願いたい、これと申すも、伊東あたりが背後にいて糸を引いてのことと思うが、こういうことが続発した日には、新撰組の致命傷だ、何はともあれ、一同の者はひとまず隊へ立ちかえるようによくおさとしが願いたいと。そこで会津からこの旨を脱退組に申し伝えると、彼等はまたそういうことをいまさら承知するはずがない――では明日改めてということになって、十人が打揃《うちそろ》ってまた会津屋敷まで出かけることになって、その前に伊東に会って打合せをすると、伊東が言うことには、まあ今日は会津屋敷へ行くのは止せ、相手が一筋縄ではいかない奴だから、どんな計略をしてないともわからぬ、それにひっかかりに行くのは危険千万だ、と言って留めてみたが、十人組はきかない、なあに、向うは会津屋敷だ、そう無茶なこともすまい、と十人のうち茨木司を先に立てて、佐野、富田、中村の都合四人が代表ということで会津屋敷へ歩いて行った。ところが仲介役、会津の公用人がなかなか出て来ない、主用で外出と言って容易に戻って来ないで、とうとう朝から夕方まで会津屋敷で待たされた。その時の代表の今の四人が奥室に進み、あとの六人は別室に控えていたが、いよいよ夕方まで待たされて、退屈を極めている途端を、不意にその四人の代表の後ろの襖からの電光の如く槍が突き出されて、四人とも芋刺し。思い設けぬ狼藉《ろうぜき》に、四人のものは深傷《ふかで》を負いながらも、刀を抜いてかかってみたけれどもすでに遅かった、僅かに相手を傷つけたのみで、四人もろともに田楽刺しになってその場に相果てたが、残る六人の者は主謀にあらず、罪状軽しとあって、新撰組へ連れ戻して追放の刑に処した――これがその近藤の取った復讐手段の序幕……」
山崎譲が能弁に任せて、滔々《とうとう》として、ここまで語り去り語り来《きた》った時分にも、三人の足並みは更に変らないで、さっさと京洛をめざして進んでいたのだが、いつか知らぬうちに、茫々たる薄野原は早くも尽きてしまって、いつのまにか両側は櫛比《しっぴ》した町家になっている。そのまた町家が、いずれも熟睡時間だから、戸を閉しきって人っ子ひとり通るの
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