ほの見える。いわゆる勤王方の中心勢力たる薩摩のうちに、かえって近藤を諒解する男がいるということを、竜之助も不思議なりとして、
「あれはあれだけの男だろう、あれの器量として、今の地位は過ぎたるものか、及ばざるものか、その辺は拙者は知らない、だが、あれもいい死にようはしないだろうが、死場所を与えてやりたいものだ」
 何とつかず竜之助が、斯様に挨拶したのを、田中新兵衛はまた高笑して、
「は、は、は、その点は御同様、君も、僕も、いい死にようはできなかった」
 できなかったがおかしい。できなかったでは過去になる。過去に解決を告げてしまった語法文法になる。文法や語格には注意を払わない竜之助は、
「そうなると、近藤に万一のことがあるとなった暁は、今後の新撰組は誰に率いられるのだ」
「そこだ――路傍の噂《うわさ》では、伊東甲子太郎《いとうきねたろう》が最も有望だということだが、くわしいことはよくわからんが」
 ここまで語り合った時に、不意にまた路傍から声がかかって来た。
「その話なら、僕がくわしいよ」
 二人は驚いて、その声のする方を見やると――
 闇中《あんちゅう》からのそりと出て来た、旅すがたは平民的……いつかは奴茶屋《やっこぢゃや》の前まで来ておりました。その奴茶屋の縁台に腰打ちかけ休んでいた一人の発言でした。
「やあ、山崎君ではないか」
 これはこれ、新撰組の一人、香取流の棒の名手、変装の上手、山崎譲でありました。

         四十三

 なるほど、山崎ならば、新撰組の近状を知ることに於て田中以上だろう。奴茶屋に休んでいた山崎は、闇中から不意にしゃしゃり出たと見ると、二人に押並んで歩調を合わせながら、
「では、僕が代って、その後の新撰組の状態と、今後の予想とをくわしく話して聞かせようではないか――」
と言って、懐中から何か一ひらの紙切れを取り出して二人に示し、
「まず、これを一覧し給え」
 暗いところではあり、かつ、会話はしながらも、これは無性に進行している途中ではあり、そこで急に紙片をつきつけられたからとて、本来読めるはずのものではないが、そこは不思議にも、
「どれどれ」
と言って受取った二人の前へ、笠から透きとおって、その巻紙の文字がありありとわかるのであります。読んでみますと、それは次のような人名表でありました。
[#ここから2字下げ]
見廻組組頭格 隊長  近藤勇
同  肝煎格 副長  土方歳三
見廻組  格     沖田総司
右   同断     永倉新八
同          原田左之助
見廻組        井上新太郎
同          山崎木一
同          緒形俊太郎
見廻組  並     茨木司
同          村上清
同          吉村貫一郎
同          安藤主計
同          大石鍬次郎
同          近藤周平
惣組残らず見廻御抱御雇入仰せつけられ候
 卯六月
[#ここで字下げ終わり]
 これを二人が、すらすらと読んでしまって、田中が、
「なるほど、こうなってみると、新撰組は残らず幕府の方へ、お抱え、お雇入れ、仰せつけられ、ということになったのだな、金箔附きの御用党となったわけじゃな」
「そこだよ」
「よく、これで納まったな」
「納まらないのだ、これで近藤は御目見得格《おめみえかく》以上の役人となり、大久保なにがしという名をも下され、土方は内藤隼之助《ないとうはやとのすけ》と改名まで仰せつけられたというわけだが――納まるはずがない、本人たちは一応納まったが、納まらぬのは多年の同志の間柄だ」
「そうだろう、一議論あるべきところだ」
「本来、新撰組というのが、幕府の爪牙《そうが》となって働く放漫有志の鎮圧を専門としているが、もともとかれらは生え抜きの幕臣でもなんでもないから、その御すべからざるところに価値《ねうち》があったのだ、彼等は事情やみ難く幕府のために働くとは言い条、彼等の中には勤王攘夷の熱血漢もあれば、立身の梯子として組を利用しているものもある、天下の壬生浪人として大手を振っていたものが、公然幕府の御用壮士と極印《ごくいん》を捺《お》されることを本意なりとせざるものがある」
「それはそうありそうなことだ、で、右のように彼等が役附いたとなると、当然それに帰服せざるやからの出処進退というものが見ものだな」
「そこで、一部のものに不平が勃発し、その不平組の牛耳が、今いう伊東甲子太郎なのだ」
「また新撰組が二分したか」
「いや、すんなりと二分ができれば問題はないのだが、新撰組の組織というものが決して脱退を許さぬことになっている、脱退は即ち死なりと血誓がしてあるのだ、近藤に平らかならざるものも、隊としての進退が決した以上、それに不服が許されない、脱退も許され
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