ますが、学問の方も大したお方で、和歌や文事《ふみごと》のほかに、易をごらんになりました」
「易というのは、あの身の上判断やなにかのことですか」
「はい、易経と申しまするものは、なかなか身の上判断などに使うべきものではない、貴い書物だとおっしゃりながら、それでも、町の人たちが困ってお頼みにおいでになる時などは、あの算木《さんぎ》筮竹《ぜいちく》で易を立てて、噛んで含めるように、ていねいにお諭《さと》しをしておやりになりましたものですから、それがために救われたものも多分にございました」
「易を立てて、身の上判断をして、それで暮しを立てていたのですか」
「いいえ、左様ではございません、お礼物《れいもつ》などは決してお受けになりませんでした、ただ人の気を休めるために筮竹を取るのだとおっしゃいました。お礼などをお受けにならないでも、立派に御身分のあるお方でございまして、大僧正様なども、どうかするとお見えになりましたが、大僧正様と易経のお話をなさいましたことを、わたくしは蔭ながら伺っていたことがございますが、その時におっしゃったお言葉と、身の上判断を頼みに来る人に向ってあそばす易経のお諭《さと》しとは、全く違った見識のもののように承っておりました」
婆やから、こう言って説明されると、お銀様の心がまた穏かならぬものになりました。
自分で見ては歯の立たないものを、ここの前住の女庵主は、立派に消化しきっているように思われたのが、お銀様の心を少なからずいらだたしめたもののようです。
こうして書物の検討をしている間に、夕方から雨が降り出しました。
十三
小町塚の雨の第一夜を、お銀様は、しめやかな気分のうちに眠りに就きましたが、お銀様としては、こと珍しい環境のうちに、珍しい夢を見るの一夜であります。
胆吹御殿の上平館の一室も、静かな一室であることに於ては、ここに譲りません。あるいはここよりも一層、懸絶し、沈静している胆吹御殿の女王の一室ではありましたけれど、女王としての権式を以て寝ね、女王としての支配を以て起きるのですから、放たれたる夢を結ぶということは、まずないことでした。
しかるに、今晩という今晩は、境《きょう》が変れば心が変るのであって、夢が現実から古昔に向って放たれました。関ヶ原以来、歴史にさかのぼった夢を見ることは稀れでありましたのです。
まず
前へ
次へ
全178ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング