まいと言った故、またまたひっくり返してやったら、金を一両二分出して、またまたあやまりおった故、金が思いよらず取れる故、済ましてやった。そのうちに夜が明けかかったから、寝ずに三島を立ったら、道中籠を出したから、先の宿まで寝て行った。そのはずだ、稽古道具へ、箱根を越し、水戸という小札を書いて差して置いたものだから、うまくいったのだ。
おれが思うには、これからは日本国を歩いて何ぞあったらきりじにをしようと覚悟して出たから何も怖いことはなかった――」
[#ここで字下げ終わり]

 ここまで読んで神尾主膳が感じたことは、個人的の興味ではなく、この破格な行状記の後ろに動いている時代の空気というものでありました。
 江戸徳川氏の末期の、空気のどろどろになって、どうにも動きの取れない停滞が、この勝の親父を産んだのだ。いや、勝の親父だけではない、自分の如きは、まさしく、そのどろどろの沼の中の産物の指折りでないとは言えない、そういうことを神尾主膳が自覚せしめられました。
 江戸末期の停滞が産んだ、我々旗本浪人のうちの不良に二種類がある、それは硬派の不良と、軟派の不良だ。
 その勝の親父の如きは、当然、硬派の不良に属してるが、自分の如きは、これに比べれば、いくらか軟派に傾いているかも知れないが、自分より以下の軟派はまだまだある。いわば、硬軟両面を兼ねた自分ではある、ということに神尾が分類をしてみました。
 自分の放埒《ほうらつ》を時代になすりつけるわけではないが、まあ、この徳川末期の時代というものを一渡り見てみるがいい、おれは三千石だし、勝のおやじは四十俵だ。格式に於ては天地ほどの差があるけれども、時代を同じうした徳川幕下の士ということに於ては少しも変った存在ではない。
 泰平二百何十年、もう、この江戸文化も熟しに熟しきってしまっている。三千石の家に生れたおれも、四十俵の高をついだ勝のおやじも、行きつまっているということに於ては全く選ぶところはない。もう、徳川の天下では、三千石は三千石より生きようはない、四十俵は四十俵のほかに動きがとれないことになっている。三千石が立行かなければ、四十俵も立行かない。おれは三千石の自暴《やけ》、勝は四十俵の自暴だ、自暴に於ては優《まさ》り劣りはないのだ。
 およそこの時代に於ては、身分の高下、禄高の大小を問わず、飛躍ということがどの方面にも許されない。飛
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