きた。それから本所中の、いい頭をしているのらくら[#「のらくら」に傍点]者を残らず置いて、みんなおれが差図に従えた故、こわいものはなくなったが、それには金もいるし、附合いが張ったから、たいそう借金が出来た。
また他流試合を商売のようにして、毎晩、喧嘩にみんなを連れて歩いた。ある時、平山孝蔵という先生へも行って、いつもいつも和漢の英雄の咄《はなし》を聞いては、みんなをしこなしていた。それから、いろいろ馬鹿ばかりしていたから、身上が悪くなってきて、借金がふえるばかり、仕方がないから、出来ない相談に、むやみに借金をしていたが、二十一の年には、一文もなくなって仕様がなかったから、差料の刀は、おわりや久米右衛門という道具屋より買った盛光の刀、四十一両で買った故、それを売ろうかと思ったが、それも惜しいからよしたが、あいたいに行くにも着たままになったから、気休めに吉原へ行って、翌日、車坂の井上の稽古場へ行き、剣術の道具を一組借りて、直ちに東海道へかけ出した」
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またしても駈落《かけおち》かと、読んで神尾が苦笑しました。
「なるほど、乞食は三日すれば忘れないというが、性《しょう》についたな」
五十九
さてこれからが、勝小吉再度の駈落物語となる。
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「その日は、むこくに歩いて、藤沢へ泊って、朝七ツ前に立って、小田原へ行って、先年世話になっていたうちの喜平次を尋ねて行ったが、喜平次も、乞食がさむらいに化けて来たものだから初めは不審した。喜平次のうちを出た亀と言ったら、ようやく思い出して、いろいろ酒など振舞ったが三百文盗んだことを言い出して、金を二分二朱やったほかに酒代《さかて》を二朱出して、以前、船へ一しょに乗った野郎共を呼んで酒を呑まして、今は剣術遣いになったことをはなして笑ったら、みんなが肝をつぶしていた。今晩はぜひとも泊れと言ったが、江戸より追手が来るだろうと思ったから、早々別れてそこを立って箱根へかかった。
喜平次とほか三人ばかり三枚橋まで送って来たが、そこよりかえして、ようよう関所へかかったが、手形がないから、関所の縁側へ行って、剣術修行に出でし由申して、お関所を通して下さいと言ったら、手形を見せろというから、そこでおれが言うには、御覧の通り江戸を歩行通りのなりゆえ、手形は心づかず、稽古先より計らず思
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