め去って、問題の大船も後ろに見るくらいに、急行をつづけているにかかわらず、舟の中の人は、年代を超越した悠長さで、時代と歴史とに向って感想を発しました。これはたしかに不破の関守氏に相違ありません。
現に胆吹王国の総理であり、参謀総長を兼ねていたはずの不破の関守氏が、急に水上の人となり、早舟の急がせ方はこうも急調なるにかかわらず、語るところのものは頗《すこぶ》る悠長です。しからば、その相手となっているのは何人か。近ごろ近づきの青嵐居士と、不破の関守氏とは、よく話が合う、今日もその人を同行の、釣の脱線かと見るとそうではないのです。関守氏の相手に控えている人間は、決して青嵐居士のような饒舌家《じょうぜつか》ではない、あくまでも関守氏に喋《しゃべ》らせて、自分は、言語と態度を極度に惜しむかの如く、傲然《ごうぜん》として、それに聞きいるだけの姿勢にいる。しかも、不破の関守氏も御免を蒙《こうむ》って、一種風雅な檜笠をかぶっているが、これは日を避けんがための実用として容赦さるべきにかかわらず、前に対して彼の話を受入れているこの人は、最初から覆面の仕通しです。
苟《いやし》くも人に対して正坐する時に、己《おの》れの覆面を取らずしてこれに対するということは、非常なる無礼であり、傲慢でなくて何であるか、臣下に対してさえも、対坐には相当の礼があるべきもの、それにこの人は、不破の関守氏ほどの人物を前にして、覆面のままで、傲然としてこれに応対し得る強権の人。誰彼と言おうよりも、当時これだけの権式を持ち得る人は、胆吹王国の女王様以外には、その人のあるべきはずがない。
平明に言ってしまえば、この早手の中の対坐の客は、お銀様に対する不破の関守氏であって、それに従者が一人、神妙に後ろの方に控えていると、蓑笠《みのがさ》をつけた舟夫《せんどう》が一人、勇敢に櫓《ろ》をあやつっているだけのものです。
早手は急ピッチを変えず、島も大船も見えずなり、それにまたもや一陣の霧が、一むれ襲うて来たものですから、四辺《あたり》は煙波浩渺《えんぱこうびょう》たり、不破の関守氏の懐古癖が充分に昂上を見たと覚えて、
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大船の――
かとりの海に
いかりおろし
いかなる人か
物思《ものも》はざらむ――
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朗々たる名調子で、一種独得の朗詠が湖上の上に漂いました。
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