よしとしない。独創を尚《とうと》ぶが故に、模倣と追従とを卑しみ悪《にく》むことは変りはないが、自然、乱調子の中にも、長を長とし、優を優とする公論の帰するところも現われようというものです。
男谷の剣術に就いては、これらの壮士といえども、多くの異論を起し易《やす》くない。男谷と言えば、その次には、今時の今堀、榊原、三橋、伊庭、近藤というあたりに及ぶべきところだが、会談が溯《さかのぼ》って島田虎之助が出る。島田を言う次に、勝麟《かつりん》の噂《うわさ》が出るような風向きになりました。
勝麟太郎の名は、剣術としての名ではない、当時は幕府有数の人材の一人として、何人《なんぴと》の口頭にも上るところの名でありました。単に芸術の士だけではない、これからの天下の舞台を背負って立つ幕府方の最も有力なる人材の一人として、誰人にも嘱望されている名前でしたが、ここでは単に芸術の引合いとしての勝麟の名が呼び出される。
「いったい、勝は剣術は出来るのかいなア」
「勝の剣術は見たことないよ」
「だが、勝に言わせると、おれは学問としても、修行としても、ロクなことは一つもしていないが、剣術だけは本当の修行したと言っているぜ」
「口幅《くちはば》ったい言い分だな、ドレだけ修行して、ドレだけ出来るのか、勝に限って、まだ人を一人斬ったという話も聞かない」
「若い時は、あれで盛んに道場荒しをやったそうだ」
「いったい、彼は何の流儀で、誰に就いて剣術を学んだのだ」
「師匠は島田虎之助だが、剣術にかけては島田より家筋が確かなんだ、勝はあれで男谷の甥《おい》に当るんで、勝の父なるものが、男谷の弟なんだ、それが勝家へ養子に来たのだから、れっきとした武術の家柄なのさ――いやはや、その勝の父なるものが、箸《はし》にも棒にもかかった代物《しろもの》ではない」
と一座の中の物識《ものし》りが、勝麟太郎の家柄を洗い立てにかかったのが、ようやく話題の中心に移ろうとする時でありました。
そこへ、ひょっこりと姿を現わして、
「やあ諸君、おそろいだな」
と、抜からぬ面《かお》で言いかけたのが、斎藤一でありました。
五十一
「斎藤が帰って来たぞ」
「一人で帰って来たぞ」
「隊長はどうした」
その詰問に斎藤が騒がぬ体《てい》で答える、
「隊長は今そこまで来ている、僕は別に人を一人つれて、一足先に帰って来たよ
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