二人は、二三歩あとへ引返した。ほんの踵《きびす》をめぐらさずに、振り返れば済むだけの距離でしたが、振り返って見ると、もう、それらしい人はいずれにも見えない。いつのまにか消えてなくなっている。これより先、田中新兵衛の姿はもはや消えてなくなってしまっている。消えてなくなったのは、山崎譲と、田中新兵衛と、机竜之助だけではない、斎藤一もいつしか、橋上橋畔から姿を消してしまって、橋の真中から再び歩を踏み直しているのは伊東甲子太郎ひとりだけです。この男だけが例の酔歩蹣跚《すいほまんさん》として、全く、いい心持で、踊るが如くに踏んでいるその足許《あしもと》だけは変らない。

         四十九

 こうして、橋上を闊歩して戻る伊東甲子太郎の胸中は得意を以て満ちておりました。
 まず第一は、新撰組との絶縁が円満に通過したことです。新撰組を脱するには死を以てしなければならないのが、無事に解決したということに彼は大きな満足を感じていました。
 第二には、これによって幕府方と縁を断って、勤王方の一枚看板を掲げることができたというものである。もはや、眼のある人の目から見れば徳川幕府の時代ではない、勤王或いは別種の新勢力が取って代るべき時代が到来している。その新時代の新勢力の中へ、自分が一方の長として大手を振って合流することができる。勤王は自分の本来の持論であるのだ。
 第三には、右の意味に於て、自分には有力なる大藩や公卿のバックがある。それというのは、新撰組の兇暴に辟易《へきえき》しきっているこれらの諸藩閥が、一つには彼の勢力を殺《そ》ぎ、一つにはそれに対抗するために、別に一勢力を欲しがっている。自分がその適任と認められている。すなわち幕府方に近藤あるが如く、勤王方は自分を盛り立てようとする有力者が多い。
 それから、今日――から今晩にかけての会見についても、隊の者は不安がったが、自分はタカを括《くく》っていた。近藤といえども、もはや、おれの御機嫌を取らぬことには地位が不利益だということに気がついたのだ。いったい、近藤という男を、世間は兇暴一点張りの男とのみ見る奴が多いが、どうして、彼はなかなか眼さきも利《き》いているし、機を見るに敏な奴だ。不幸にして彼は有力な藩に生れなかったから、独力で今日の地位に驀進《ばくしん》しただけのもので、彼を西南の大藩にでも置けば、勤王方の有力なる
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