。それにつけても、安然大和尚ともあるべき人物が、それほど人望を失っているというのは、よくよくのことなんだろう、いったい、どうした因縁なんですかね、不審の至りですなあ」
「その因縁でございます、その因縁には、実はこういう物語があるんでございます、まあお聞き下さい」
 平田住職は非常に親切に道庵に応対をする。道庵もまた、なんでもかでも聞いて置きたい方だから、神妙に傾聴している。
 小高い山の、赤土に長い赤松が生えて、青い空から晴れた軽い嵐がその梢《こずえ》に送られる。松の間から見る琵琶湖の景色のなごやかさ、湖上湖辺に騒ぎがあるなどとは夢にも思われない。かくて長安寺の裏山で、この変体な寒山と拾得とが、貧乏物語をはじめました。

         三十八

 諦善師が、道庵先生に語るところの因縁物語は、次の如きものでありました――
 安然大師、現世では左様に古今独歩の大学者であったけれども、その前世は甚《はなは》だ薄徳なる一個の六部でありました。そうして、人から受くることばかりで、与えるということを更にしなかった。その報いによって、学徳は左様に高かったけれども、財縁というものが甚だ薄く、修行時代には赤貧洗うが如く、朝夕の煙もたえがちで、ほとんど餓死に迫ってしまった。そこで、安然法師は歎息し、程近き「投げ足の弁天」へ参籠《さんろう》して泣訴することには、
「愚僧は貧困骨に徹して、もはや餓死になんなんとしている、わしは若いですから餓死するとも我慢は致しますが、老いたる母が不憫《ふびん》でなりませぬ、何とかよい工夫はないものでございましょうか」
 そうすると、投げ足の弁天様は、名前通り足を投げ出したままで、これに答えるようは、
「それはお気の毒千万なことだが、お前さんの人相を見ますと、お前さんの前世は六十六部でした、そうして貪慾で、貰うことばかり一生懸命で、人に施しということをしたことがありません、その報いで、お前さん母子《おやこ》が今のように貧乏に苦しむのですから、いわば因果応報で、如何《いかん》とも致し方がないのです。しかし、お前さんは勉強家で且つ親孝行だから、一つわたしが手段方法を教えて上げましょう。それというのは、お前さんが前世で六部の時代に、それほど貪慾の罪を造っていたが、ただ一度だけ施しをしたことがある、それはお前さんが、心あって施しをしたのではない、ある時、前世のお
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