はなく、自分の好学の一念から、狭い郷里では求められない、広い日本であっても、当時では容易に求められない語学の先生を、この胆吹王国に於て発見し得るという希望の下に、越前の福井からやって来たのだなと知ることができました。
 同時に、そういう心がけを以てここへ参加して来ることは心得違いである、胆吹王国は、そういう志願の人を収容すべきところではない、同志としては異端者である、王国の職員の一人としては叱って諭《さと》すべきではあるが、青嵐居士は、この青年の好学に大きな同情を持ち得られる人でありました。
「いや、無理もない、我輩も若い時分に、そういう語学熱が燃えたですよ、どうかして語学を究《きわ》めたいと熱中してみたが、師がない、本がない、それがために、心ならずも中絶してしまってもの[#「もの」に傍点]にならないで今日に及んでいるが、当時、もし適当の師と書物とが与えられていたならば、今ではひとかどの語学者になっていたかも知れない、その語学熱高潮の当時を顧みてみると、ちょうど今の君と同様に、あらゆるものから学びたがった、ちょっと語学のうつしがあるとか、語学の出来る人があるという噂《うわさ》を聞くと、これがみんないっぱしの大学者のように見えて、走りついて教えを受けようとあせったものだが、さて、本当に出来るというのはなかったねえ、本当に語学の出来たという人は、日本中で五本の指まで行かなかったんだ」
「先生が、そういう語学熱の時代は幾つ頃の時代でした」
「左様、やっぱり君ぐらいの年頃さ――当時、これでも江戸に遊学していたんだ」
「江戸で、その時分の英学者は、どなたでしたかね」
「左様――蘭学で箕作阮甫《みつくりげんぽ》、佐久間象山《さくまぞうざん》などというところが大家だったね、それから黒田の永井青崖《ながいせいがい》というのがなかなか出来た、大阪には緒方洪庵《おがたこうあん》という先生がいたが、それらはみんな蘭学が主で、英学などやろうという者はほとんどなかったが、ただ一人、長崎の幕府の通訳で、森山という人が英語が出来るという評判であった。そういう門戸を張った学者ではなかったけれど、偶然にも我輩は、英学の勝《すぐ》れた友人を一人持っていたね」
「あ、そうですか、その人を御紹介していただけないでしょうか」
「あせってはいけない、それはもう二十年も昔のことだよ」
「二十年ですか……でも、か
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