髷《まるまげ》のうちのどれか一つに相違ない。この野郎、昨日今日ここへ雇われたと言いながら、もうそのうちの一人をもの[#「もの」に傍点]にしている、度すべからざる白徒《しれもの》だという面をして、三公と、お盆の餅とを見比べていたが、この野郎はお先へ御免を蒙《こうむ》ってしまって、走餅を一つ抓《つま》んであんぐりと自分の口中へほうり込み、
「うめえ、うめえ、走餅ぁうめえ、腹のすいた時にゃ何でもござれだ」
とんちんかんなことを口走り出した。時に関守氏、
「三公、貴様は怪しからん奴だ、餅どころか、人間まで甘く見ている」
「どう致しまして」
「昨日、あの風呂場で拙者の胴巻をちょろまかした上に、それをぬけぬけとまた、お忘れ物だと言っておれの眼の前へ持って来やがった、いけ図々しいにも程のあったものだ、人を食った振舞とはそういうのを言うのだ」
「へ、へ、へ、へ、人を食った覚えなんぞはございません、餅を食っているんでげすよ」
三公は、今となっては決して悪怯《わるび》れていない。人を食ったのはこっちではない、かえってこの人に臓腑の底まで見破られてしまったから、破れかぶれという気分でもあるようです。関守氏は少々油を絞り加減に、
「なぜ、あんなツマらないことをしたのだ、盗むくらいなら盗み了《おお》せたらいいだろう、わざわざ人の前へ持って来て吐き出して見せるなんぞは、憎い仕業だ」
「いや、そんなわけなんじゃございませんよ、実はねえ、旦那だから申しますがねえ、わっしも本来は箸にも棒にもかからねえやくざ野郎なんでして、事情があってこのところへ閉門を仰せつけられたんでございますが、どうにも動きが取れねえから、こうやって米なんぞを搗《つ》いてるんですが、もうやりきれません、逃げ出しちゃおうと思ったんですが、逆さに振っても血も出ねえ昨日今日、当座のお小遣《こづかい》として、あなた様の胴巻をそっくりお借り申すつもりで、三日前からちゃあんと睨《にら》んでいたんですが、隙がございません、そうこうしているうちに、昨日お風呂にお入りのあの時、この時なんめりと首尾よく頂戴に及んだんですが、当事《あてごと》がすっかり外れちゃいましてな」
「思ったより少なかったか、路用の足しにもならんと、手に入れてみてはじめて呆《あき》れたか」
「そうじゃございません、あれだけあれば当座の路用には充分でござんすが、相手が少々悪い
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