優越性も原因であることには相違ないが、それほど神尾というものが百姓を、忌《い》み、嫌い、悪《にく》み、呪《のろ》うというのは、別にまた一つの歴史もあるのです。
それは、神尾の先祖が、百姓を搾《しぼ》ろうとして、かえって百姓からウンと苦しめられ、いじめられている。神尾の祖先のうちの一人が、自分の放蕩濫費の尻を、知行所の百姓にすっかり拭わせようとしたために、百姓一揆《ひゃくしょういっき》を起されて家を危うくしたことがある。
体面の上からは勝ったが、事実に於ては負けた。領主としての面目はかろうじて立ったが、内実は百姓の言い分が通ってしまったのだ。
だから、心ある人は、それから神尾の家風を卑しむようになっている。
その歴史が、今も神尾を憤らせている。百姓というやつは厳しくすれば反抗する、甘くすればつけ上る――表面は土下座しながら、内心ではこっちを侮っている。最も卑しむべき動物は百姓だ――これには強圧を加えるよりほかに道はないと、それ以来の神尾家は、代々そう心得て百姓を抑《おさ》えて来ていた。今の神尾主膳も、百姓を見ると胸を悪くすること、この歴史から来ている。
この点に於て、神尾主膳は
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