びにん》だよ、この通り、旅路だから草鞋《わらじ》脚絆《きゃはん》という足ごしらえだあな、まずゆるゆるこれを取らしておくれ――それ、お洗足《すすぎ》の用意用意」
 道庵は、上り口へどっか[#「どっか」に傍点]と腰を卸して、泰然自若たるものです。
「さあ、お脚絆、さあ、お草鞋――さあさあ、お洗足……」
 全く下へも置かず、頭の慈姑《くわい》を摘《つま》み上げんばかりのもてなし。道庵としては全く初めてのふり[#「ふり」に傍点]のお客である。馴染《なじみ》でもなければ、定宿でもないのに、いくら下へ置かぬ商売だからといって、これはあまりに要領が好過ぎ、呑込みが好過ぎ、サーヴィスが有り過ぎる――と一応は、そうも受取れますけれども、これあながち、その根拠がないわけではないのです。
 お角さんは、道庵の来るのを待兼ねていて、いつ何時、これこれこういう人が、尋ねて来るかも知れない。必ずよっぱらっておいでになり、口にはたいそう毒を持っているから、そのつもりで扱って上げてください。なアに、口に毒は持っているけれども、御商売は薬を扱う江戸でも名代のお医者さんだから、失礼のないように。もしわたしが不在でも、かまわず部屋へお通し申して、できるだけ丁寧に扱って上げておくれ。そうしてまた、御酒が大好きなんだから、吟味したところを、いくらでも御所望次第差上げておくれ。お肴《さかな》もこの琵琶湖の選抜《えりぬ》きのところを――なあに、いくら召上っても正気を失うような先生ではない、わたしが帰るまで、そうしてできるだけ丁寧に取持って置いておくれ――
 こういうことが、お角さんからかねがね吹込んであるものですから、宿でも先刻心得たもので、
「それ、おいでなすった」
 車輪になって、お角さんの申しつけて置いた通りに、サーヴィスをはじめたものです。
 かくて、足も取り、洗足《すすぎ》も終ってみると、早速通されたところは、お角さん借切りの豪華な一室でありました。
 御輿《みこし》を据えるとたん、早くもお銚子の催促であり、その催促を皆まで言わせない先に、続々とお好みの見つくろいが取揃えられる手廻しぶりに、道庵すっかり悦に入《い》ってしまって、
「どうも、これだから、上方《かみがた》の奴は油断がならねえ、ことにこの江州者ときては、昔っから近江泥棒、伊勢乞食といって、こすい[#「こすい」に傍点]ことにかけては泥棒以上だ
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