、否やはあろうはずはありません。お雪ちゃんを退引《のっぴき》させないようにして置いてから、お銀様はなおも畳みかけて言いました、
「その病人は、病人のくせに、退屈がって出歩きをしたがっていけないのです、ことに夜分は気をつけなければいけませんから、お雪さん、あなた、目を離さずついていて、一寸も外へは出さないようにして下さい。尤《もっと》もあなたがついていれば、お出なさいと言っても、出ないかも知れません」
「そんなはずはございません」
 お銀様の言いぶりが、いよいよ消化しきれないものがあるので、その申しわけも、お雪ちゃんとしていよいよ要領を得ないものになる。それをもお銀様は押しかぶせて、
「でも、そうしているうちに、わたしも行くでしょう、そうしたら、その人たちと一緒に、竹生島へでも参りましょう、湖水めぐりもやりましょう」
「それは嬉しうございます」
 お雪ちゃんがお礼を言う。お銀様は冷然として、
「では、これから直ぐお頼みします、行きだけは誰かに連れて行ってもらいましょう。ああ、誰かというより、友さんがいいでしょう、米友さんに頼んで送って行ってもらいましょう」
「あ、お嬢様、その米友さんでございますが……」
 ここで、お雪ちゃんの気色も、言葉も、ガラリと変ってしまいました。
「友さんが、どうかしましたか」
「あの、お嬢様、米友さんの行方が知れなくなったのでございます」
「どうして」
「なんでも、お嬢様がお出かけになって間もなく、やっぱり長浜の方へお出かけになったまま、音沙汰《おとさた》がないのだそうでございます」
「あの人のことだから……」
 お雪ちゃんがあわただしいわりあいに、お銀様は冷淡な挨拶です。それというのは、行方不明といったところで、あの男のことだから、やがてひょっこり帰って来るだろう。或いはもう立帰って、料理場の隅に好きな栗でも茹《ゆ》でているのではないか、といった程度のものです。ところが、お雪ちゃんの不安な色は容易に去らないで、
「いいえ、それが只事ではないらしうございます、役人に捕まって、晒《さら》しとやらにかけられているというような、不破の関守さんのお言葉でしたが、くわしいことをわたくしに知らせて下さらないのが、いっそう心配なんでございます」

         二十六

 米友の行方については、お銀様も、お雪ちゃんも、関心の限りでないことはないが、さり
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